慈照院(じしょういん)は、相国寺の塔頭の一つで、相国寺第13世 在中中淹の塔所
江戸時代初期に、八条宮(桂宮)初代 智仁親王の香華所となり、
明治時代に八条宮(桂宮)が廃絶となるまでの歴代の尊牌が奉安されており、塔頭の中でも格式の高い寺院
<客殿>
1671年(皇紀2331)寛文11年
智仁親王妃 常照院殿の遺命により、二代 光友が、八条宮家、廣幡家のために、尾州総桧材で創建したもの
1763年(皇紀2423)宝暦13年
京極宮家の旧殿が下賜される
<書院 棲碧軒(せいへきけん)>
桂離宮内に建てられている古書院と建築方法・建築材が同一の草庵風害院造
江戸時代初期
宮家の学問所として創建される
1629年(皇紀2289)寛永6年6月
宮家二世 智忠親王は、昕叔顕啅から文学の研究をされている
1632年(皇紀2292)寛永9年12月
智忠親王より昕叔顕啅に下賜される
<茶室 頤神室(いしんしつ)>
昕叔顕啅と親交があった千宗旦が、智仁親王のために創建した茶室
「宗旦好みの席」
四畳半下座床、躙口(にじりぐち)はなく、南側に障子二枚引の貴人口が設けられている
席内に持仏堂があり、布袋尊が安置されている
床に、宗旦に化けたといわれる「宗旦狐」の掛軸がある
茶室開きが行われたとき、千宗旦に化けた宗旦狐が見事なお点前を披露していた
そこに、本物の千宗旦が遅れてやってきて、感嘆したといわれる
宗旦狐は、慌てて、茶室の窓を突き破って逃げ出していったため、
頤神室の窓は、普通の茶室の窓より大きくなってしまったといわれる