寂光寺(じゃっこうじ)(JyakkouJi)

所在地:京都市左京区仁王門通東大路西入 北門前町   卍地図情報卍

顕本法華宗の寺院

山号:妙泉山(みようせんざん)

本尊:本門寿量(ほんもんじゅりょう)十界大曼荼羅

開山:法華宗の僧 日淵(にちえん)

日蓮宗洛中二十一ヶ寺本山の一つ妙泉寺を継承

新洞仏教会15番

 寂光寺(じゃっこうじ)は、東山三条の西北、寺院が立ち並ぶ新洞仏教会の地区にある寺院

 東大路通から、中心部を東西に走る仁王門通を西に入ったところにある

 寂光寺2世 日海上人(にっかいしょうにん)は敵なしの囲碁の名手で、囲碁の称号「本因坊(ほんいんぼう)」の由来となる

【寂光寺の歴史・経緯】


【寂光寺の伽藍】

 <山門>
 「碁道名人第一世本因坊算砂之旧跡」の石標が立っている

 <本堂>
 寂光寺33世 大川日仰貫首(おおかわにちごうかんじゅ)筆の「寂光寺」の扁額が掛かっている
 1776年(皇紀2436)安永5年の建立

 <書院>
 1716年(皇紀2376)享保元年の建立

 <本因坊元祖之道場>
 <鐘楼>
 <仏足石>

 <本因坊碑>
 山門から入って左側にある
 「第一世本因坊報恩塔」と彫られている

 <妙泉寺報恩塔>

 <本因坊歴代墓所>
 本因坊 算砂(さんさ)・本因坊2世 算悦(さんえつ)・本因坊3世 道悦(どうえつ)・本因坊4世 道策(どうさく)・
本因坊5世 道知(どうち)の供養塔がある

 江戸時代初期の棋士 僧 安井算哲(やすいさんてつ)のお墓がある



【寂光寺の寺宝】

 <近衛関白公拝領碁盤>
 関白 近衛家家から算砂が拝領した唐桑(からくわ)の碁盤
 石は陶器製、盤は碁石入の箱を台にして組み立てる

 <法華経八巻>
 <竹雁図>
 <四季図屏風>
 <初代算砂日海上人肖像画>
 <日淵上人画像>
 <算砂の囲碁狂歌>
 <算砂愛用の碁器>

【寂光寺の祭事】

 <春季彼岸会> 3月
 <初代本因坊算砂上人報恩会> 5月16日
 <秋季彼岸会> 9月
 <宗祖日蓮大聖人御式会> 11月



【その他】

 <塔頭 本因坊>
 寂光寺2世 日海上人が住んでいた塔頭
 日海上人は、敵なしの囲碁の名手で、織田信長豊臣秀吉徳川家康の指南役も務めた
 日海上人は、徳川家康の命により、寂光寺を弟子に譲り、
幕府の碁所(ごどころ)を任され「本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)」と号した
 以後「本因坊」の名称は、碁界家元の地位を持ち、技量卓抜な者が襲名継承することとなる
 本因坊2世 算悦(さんえつ)・本因坊3世 道悦(どうえつ)・本因坊4世 道策(どうさく)と継がれる
 本因坊4世 道策のときに、江戸に移転する

 <本因坊発祥の地
 寂光寺2世 日海上人(本因坊算砂)が住んでいた寂光寺 塔頭 本因坊の跡地
 寺町通の夷川通の交差点付近の歩道上に駒札と、石の碁盤、石のベンチが置かれている

 江戸幕府により庇護される
 本因坊初代 算砂の弟子より、井上家・安井家・林家が出て、四家による家元制度が確立する
 九段の「名人」を頂点とする段位制が確立する
 1939年(皇紀2599)昭和14年
 本因坊21世のとき、名跡を日本棋院に譲り、家元制度から実力主義となる

【寂光寺へのアクセス】

 地下鉄 東西線 東山駅 徒歩約5分
 京阪電車 三条駅 徒歩約10分
 市バス 東山仁王門、あるいは、東山三条 徒歩数分

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