寂光寺(じゃっこうじ)は、東山三条の西北、寺院が立ち並ぶ新洞仏教会の地区にある寺院
東大路通から、中心部を東西に走る仁王門通を西に入ったところにある
寂光寺2世 日海上人(にっかいしょうにん)は敵なしの囲碁の名手で、囲碁の称号「本因坊(ほんいんぼう)」の由来となる
<山門>
「碁道名人第一世本因坊算砂之旧跡」の石標が立っている
<本堂>
寂光寺33世 大川日仰貫首(おおかわにちごうかんじゅ)筆の「寂光寺」の扁額が掛かっている
1776年(皇紀2436)安永5年の建立
<書院>
1716年(皇紀2376)享保元年の建立
<本因坊元祖之道場>
<鐘楼>
<仏足石>
<本因坊碑>
山門から入って左側にある
「第一世本因坊報恩塔」と彫られている
<妙泉寺報恩塔>
<本因坊歴代墓所>
本因坊 算砂(さんさ)・本因坊2世 算悦(さんえつ)・本因坊3世 道悦(どうえつ)・本因坊4世 道策(どうさく)・
本因坊5世 道知(どうち)の供養塔がある
江戸時代初期の棋士 僧 安井算哲(やすいさんてつ)のお墓がある
<近衛関白公拝領碁盤>
関白 近衛家家から算砂が拝領した唐桑(からくわ)の碁盤
石は陶器製、盤は碁石入の箱を台にして組み立てる
<法華経八巻>
<竹雁図>
<四季図屏風>
<初代算砂日海上人肖像画>
<日淵上人画像>
<算砂の囲碁狂歌>
<算砂愛用の碁器>
<春季彼岸会> 3月
<初代本因坊算砂上人報恩会> 5月16日
<秋季彼岸会> 9月
<宗祖日蓮大聖人御式会> 11月
<塔頭 本因坊>
寂光寺2世 日海上人が住んでいた塔頭
日海上人は、敵なしの囲碁の名手で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の指南役も務めた
日海上人は、徳川家康の命により、寂光寺を弟子に譲り、
幕府の碁所(ごどころ)を任され「本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)」と号した
以後「本因坊」の名称は、碁界家元の地位を持ち、技量卓抜な者が襲名継承することとなる
本因坊2世 算悦(さんえつ)・本因坊3世 道悦(どうえつ)・本因坊4世 道策(どうさく)と継がれる
本因坊4世 道策のときに、江戸に移転する
<本因坊発祥の地>
寂光寺2世 日海上人(本因坊算砂)が住んでいた寂光寺 塔頭 本因坊の跡地
寺町通の夷川通の交差点付近の歩道上に駒札と、石の碁盤、石のベンチが置かれている
江戸幕府により庇護される
本因坊初代 算砂の弟子より、井上家・安井家・林家が出て、四家による家元制度が確立する
九段の「名人」を頂点とする段位制が確立する
1939年(皇紀2599)昭和14年
本因坊21世のとき、名跡を日本棋院に譲り、家元制度から実力主義となる