常照寺(じょうしょうじ)は、郊外北西部の鷹ヶ峰の南麓、本阿弥光悦の芸術村だったところにある寺院
開山である日乾上人に帰依した島原の2代目 吉野太夫のゆかりの寺
灰屋紹益の妻 二代目 吉野太夫は、和歌・連歌・俳句・書道・茶道・香道・囲碁などあらゆる諸芸に優れ、
寛永三名妓天下随一の太夫として、その美貌と名声が中国 唐にいたるまで知られていたといわれる
本阿弥光悦の縁故から日乾上人に帰依したといわれる
歌舞伎においても、豪商の夫 灰屋紹益とのロマンスが著名で演目にもなっている
吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜など、桜の名所にもなっている
夏は紫陽花(あじさい)、秋には萩と紅葉の名所
4月中旬〜5月上旬は、霧島つつじ、6月は鉄線(てつせん)、9月は萩の花の名所
<本堂>
日潮上人の筆の扁額「旃檀林」が掲げられている
<吉野門>
朱塗りの山門で、「吉野の赤門」と称される
寛永年間(1624-1644年)
島原の2代目 吉野太夫が、23歳の時に寄進したもの
<衆みょう堂(しゅうみょうどう)(書院)>
<梅樹庵(庫裡)>
<常富堂(つねみどう)>
<妙法龍神社>
<鬼子母神堂(きしもしんどう)>
境内の一番奥に建つ
<開山堂>
遺芳庵の後方の墓地に開祖 日乾上人が祀られている
<吉野太夫のお墓>
開山堂の奥にある
<比翼塚>
吉野太夫と豪商の夫 佐野紹益(灰屋紹益)のお墓
灰屋紹益の歌碑もある
<茶室 遺芳庵(いほうあん)>
吉野太夫が好んだ大きな丸窓「吉野窓」が配されている
<茶室 聚楽亭>
<吉野桜>
吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜
<帯塚(おびづか)>
山門をくぐった右手にある塚
女性の心の象徴でもある「帯」に感謝し、供養するために建立されたといわれる
帯塚の石は、四国 吉野川で採取された重さ約6トンの自然石
庭は、中根近作の設計により、苔をもって鷹ヶ峰三山が表現されている
昭和44年(1969)5月
大阪芸術大学学長 中根金作らにより建立される
<石碑>
蔵の財より 身の財すぐれたり 身の財より 心の財 第一なり
<吉野太夫花供養>
4月第2日曜(かつては4月第3日曜に行われていた)
灰屋紹益の妻 吉野太夫を偲び、お墓に献茶の法要が行われる
島原の太夫が内八文字を踏みながらの太夫道中が披露され、禿(かむろ)がお伴する
例年、吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜が見頃となる