寿宝寺(じゅほうじ)は、京田辺市の山本地区にある寺院
実際に千の手を持つ観音菩薩三大名作の一つ十一面千手千眼観世音菩薩立像(重要文化財)がある
<本堂>
<地蔵堂>
1789年(皇紀2449)寛政元年の再建
<鶏霊碑>
かつて、毎年4月酉の日に鶏の霊祭が行われていた
<舟形光背面沈刻浮彫五輪塔>
「慶長年間(1596年〜1615年)」の銘がある
<山本駅旧跡の碑>
645年(皇紀1305)大化元年の大化の改新による班田収授之法により、土地区画の条里制が敷かれた
この付近には、綴喜郡第四條山本里が置かれたといわれる
711年(皇紀1371)和銅4年、山背国綴喜郡山本駅が置かれた
明治維新の廃仏毀釈により、周辺の廃寺になった神宮寺から数多くの仏像が当寺に移され安置されている
<大日如来>
本堂に安置されている
近代まで本尊だったもの
<十一面千手千眼観世音菩薩立像(重要文化財)>
現在の本尊で、収蔵庫に安置されている
像高約180cm、等身大、一木造、素木仕上で、焚かれた護摩木により黒変している
実際に千の手を持つ観音菩薩三大名作の一つ(大阪 葛井寺、奈良 唐招提寺)
頭上に十一面があり、目・眉・ひげに墨、口に朱が塗られる以外は檜の白木で造られている
中央の6手と、左右に40の大脇手の前に、958本の小脇手が扇状にある
二手は中央で合掌、二手は中央下で定印を結んで宝鉢をのせ、二手は右手に錫杖、左手に戟を持っている
円を描いたような脇の四十手は、それぞれ日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持っている
958本の手は放射状に広がり、すべての掌には墨で眼が描かれており、全ての人々の苦しみを見て、
それらを救い取るといわれる
柳谷(乙訓郡)の観音と同じ樹で作られたものといわれ、眼病平癒のご利益があるといわれる
体内に収められている寛文年間(1661年〜1673年)の考証銘文によると、
平安時代、伝教大師42歳の作で、厄除けの所願成就のために作られたものであるという
<聖徳太子立像>
聖徳太子の16歳の姿の像
父親 用明天皇の病気平癒のために、香炉を捧げて祈願している孝養像になっている
鎌倉時代、京の仏師 尾の道浄信師の作といわれる
1875年(皇紀2535)明治8年2月に、廃仏毀釈により廃寺になった蓮華寺(飯岡)より移された
<弘法大師像>
蓮華寺(飯岡)より移されたもの
<不動明王尊像>
1868年(皇紀2528)明治元年に、廃寺になった佐牙神社の神宮寺の恵日寺(宮津)の本尊を移されたもの
<降三世明王>
平安時代作の五大明王の脇立
恵日寺より移されたもの
<金剛夜叉明王>
平安時代作の五大明王の脇立
恵日寺より移されたもの
<大般若経300巻>
恵日寺より移されたもの
<初観音・護摩供養> 1月17日
<星供養・節分会> 2月節分
<祠堂会> 3月18日
<棚経> 8月14日
<施餓鬼法要> 8月21日
<地蔵盆> 8月23日
<秋彼岸会> 9月23日
<湯立(田辺町指定文化財)>
10月17日
百味が供えらたれた前で、巫女により、神笹での湯立神楽が舞われる
<大師講>
毎月21日
<鶴沢ノ池>
かつて、現在の境内の東にあった池
現在は、桜と紅葉の公園になっている
かつては、鶴の飛来があったともいわれる
近くの飯岡山と共に、仲秋の名月の名所でもあった
<一佛寺>
かつて、鶴沢ノ池の南東付近にあった寺院
一仏成就寺観音があり、寿宝寺の前身ともいわれている
1428年(皇紀2088)正長元年8月2日の和泉川(現在の木津川)の氾濫により流失する
1431年(皇紀2091)永享3年、佐牙神社の神宮寺の法楽寺に、一佛寺の十一面千手観音菩薩立像などが移される
明治維新の廃仏毀釈により、法楽寺は廃寺になり、その仏像が当寺に安置された
<物語発祥地>
「竹取物語」の竹取の翁の舞台「山もと」にあたるともいわれる