聚光院(じゅこういん)は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)
千利休が開祖 笑嶺和尚に参禅し、檀家となり寄進を行い、
三千家の菩提寺で、千利休の墓や、三千家(武者小路千家、表千家、裏千家)の歴代の墓所となっている
<方丈(重要文化財)>
桃山時代の方丈建築を代表する建物
内部は、狩野松栄(かのうしょうえい)、狩野永徳父子による障壁画で飾られている
<茶室 閑隠席(かんいんせき)(重要文化財)>
1741年(皇紀2401)寛保元年
表千家7世 如心斎が、千利休150回忌に創建したもの
点前座を一段低くし、それにより客座を上段の間のように見せている凝った造り
千利休好みの三畳中柱で、点前座を一段低くみせ、客座を上段の間のように見せる構造
<茶室 桝床席(ますどこせき)(重要文化財)>
閑隠席の露地を通り抜けたところにある茶室
枡形(正方形)の踏込床があるため「桝床席」と称される
表千家6代 覚々斎原叟好みといわれる
<千利休墓>
三千家の歴代墓地が並ぶ中央に位置する宝塔
高さ約2m
元は船岡山にあった供養塔を、千利休が生前に気に入り、没後自らの墓標としたといわれる
<百積の庭(ひゃくせきてい)(国の名勝)>
方丈前の南庭
苔庭である枯山水庭園
千利休の作といわれる
直線上に庭石が置かれ、石組みが多いことから「百積の庭(ひゃくせきのにわ)」と称される
明治時代中期頃は、白砂が敷かれていたといわれる
方丈障壁画28面(附8面)が国宝となっている
1566年(皇紀2226)永禄9年
狩野永徳が24歳のときの作品で、方丈の障壁画を父親 狩野松栄と共に描く
2006年(皇紀2666)平成18年
複製が制作され、原本は、京都国立博物館に委託される
<花鳥図16面(国宝)>
「室中」の間の障壁画
狩野永徳が24歳のときの作
松・竹・梅におし鶏、丹頂鶴、セキレイなどが描かれた花鳥図
行体で自由奔放に描かれている
<琴棋書画図(きんきしょがず)8面(国宝)>
「檀那の間」(上の間)の障壁画
狩野永徳の作
中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた琴・棋(囲碁・将棋)・書・画に没頭する姿が描かれる
楷体で謹厳に描かれている
<瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)8面(国宝)>
「礼の間」(下の間)の障壁画
狩野永徳の父 狩野松栄の作
文人墨客が好む景勝地 瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の8つの風景が描かれる
<竹虎遊猿図6面(国宝)>
「衣鉢の間」(檀那の間の北側)の障壁画
狩野松栄の作
<蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)8面(国宝附指定)>
仏間の仏壇下小襖の絵
<絹本著色 三好長慶像(重要文化財)>