寿聖院(壽聖院)(じゅしょういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺霊雲派の塔頭
妙心寺境内の北寄り、西側参道の智勝院の前の東西参道を西に入った北側にあり、
天球院の南隣、天祥院の東隣、金牛院の裏(西隣)にある
創建当初は、現在の4倍以上の境内面積があり、現在の境内北に隣接する天球院、西に隣接する天祥院の境内も含んでいた
現在の妙心寺の北総門は、寿聖院の北門として用いられていた
周囲には堀と土塀が造られ、石田家京屋敷のようであったといわれる
壮大な本堂、金箔の軒瓦で葺かれた客殿、庫裏、書院などが建てられていた
<山門>
創建当時の寿聖院の勝手口の門
<本堂>
創建当時の書院
平成の大改修工事のときに棟札が見つかる
「寛永八年 第三世住職済院宗享により壽聖院が再興されたことを祝す」と記されている
<庭園>
本堂の前の池泉式庭園
創建当初の書院前に作庭された庭園
狩野永徳の作庭といわれる
瓢箪池は、石田三成の意向により、主君 豊臣秀吉の戦勝の馬印・瓢箪印を模したといわれる
<客殿>
<庫裏>
<石碑「石田三成一族菩提所」>
山門前に立つ
<墓地>
石田三成一族供養塔がある
寿聖院3世 宗亨禅師 済院となった石田三成の嫡男 石田重家により立てられた
石田正継、石田正澄、石田三成ら、石田家一族9人の宝篋印塔が立つ
石田三成は遺髪が納められている
石田重家(寿聖院3世 宗亨禅師 済院)のお墓もある
<七石庵(しちこくあん)>
創建当時の脇寮で「七斛庵(しちこくあん)」とも称された
1599年(皇紀2259)慶長4年
龍安寺境内にあったものが、寿聖院に移設された
1611年(皇紀2271)慶長16年
寿聖院開祖・2世 雲屋祖泰が寿聖院を復興させるために、書院を残して本堂にするときの資材の修補に充てられた
<絹本著色 石田正継像 1幅(重要文化財)>
縦99cm、横53.3cm
1594年(皇紀2254)文禄3年9月の寿像
土佐派の土佐光信か、その弟子により描かれたといわれる
石田正継が伯蒲慧稜に求めた賛がある
2024年(皇紀2684)令和6年5月
重要文化財に指定される
現在は大阪市立美術館寄託
<袈裟と書状>
石田三成が、朝鮮 文禄・慶長の役のときに、勧請開山 伯蒲禅師に送った自筆のもの
<霊牌日鑑(れいばいにっかん)>
寿聖院3世 宗亨禅師 済院(さいいん)となった石田三成の嫡男 石田重家が、石田三成にかかわる歴史を記したもの
<屏風画>
狩野永徳の筆
<屏風画「猿回し」>
海北友松の筆
<石田三成肖像画>
<書院襖絵「風浪双鯉図(ふうろうそうりず)」>
2012年(皇紀2672)平成24年
現代の絵師 村林由貴の筆
<本堂襖絵「稲穂に雀図」>
2013年(皇紀2673)平成25年
現代の絵師 村林由貴の筆