寿聖院(壽聖院)(じゅしょういん)(JyusyouIn) 京都通メンバ
所在地:京都市右京区花園妙心寺町   卍地図情報卍

臨済宗大本山 妙心寺塔頭
霊雲派

創建:1599年(皇紀2259)慶長4年


開基:近江佐和山城城主 石田三成

勧請開山:妙心寺62世 伯蒲慧稜(はくほえりょう)

開祖:妙心寺106世 雲屋祖泰(うんのくそたい)

 寿聖院(壽聖院)(じゅしょういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺霊雲派の塔頭

 妙心寺境内の北寄り、西側参道の智勝院の前の東西参道を西に入った北側にあり、
 天球院の南隣、天祥院の東隣、金牛院の裏(西隣)にある

 近江佐和山城城主 石田三成が、妙心寺山内に父親 石田正継の菩提所として建立し、石田三成一族の菩提所となる

【寿聖院の歴史・経緯】




【寿聖院の伽藍】

 創建当初は、現在の4倍以上の境内面積があり、現在の境内北に隣接する天球院、西に隣接する天祥院の境内も含んでいた
 現在の妙心寺の北総門は、寿聖院の北門として用いられていた

 周囲には堀と土塀が造られ、石田家京屋敷のようであったといわれる
 壮大な本堂、金箔の軒瓦で葺かれた客殿、庫裏、書院などが建てられていた


 <山門>
 創建当時の寿聖院の勝手口の門

 <本堂>
 創建当時の書院
 平成の大改修工事のときに棟札が見つかる
 「寛永八年 第三世住職済院宗享により壽聖院が再興されたことを祝す」と記されている

 <庭園>
 本堂の前の池泉式庭園
 創建当初の書院前に作庭された庭園
 狩野永徳の作庭といわれる
 瓢箪池は、石田三成の意向により、主君 豊臣秀吉の戦勝の馬印・瓢箪印を模したといわれる

 <客殿>
 <庫裏>

 <石碑「石田三成一族菩提所」>
 山門前に立つ

 <墓地>
 石田三成一族供養塔がある
 寿聖院3世 宗亨禅師 済院となった石田三成の嫡男 石田重家により立てられた
 石田正継、石田正澄、石田三成ら、石田家一族9人の宝篋印塔が立つ
 石田三成は遺髪が納められている
 石田重家(寿聖院3世 宗亨禅師 済院)のお墓もある


 <七石庵(しちこくあん)>
 創建当時の脇寮で「七斛庵(しちこくあん)」とも称された
 1599年(皇紀2259)慶長4年
 龍安寺境内にあったものが、寿聖院に移設された
 1611年(皇紀2271)慶長16年
 寿聖院開祖・2世 雲屋祖泰が寿聖院を復興させるために、書院を残して本堂にするときの資材の修補に充てられた



【寿聖院の寺宝】

 <絹本著色 石田正継像 1幅(重要文化財)>
 縦99cm、横53.3cm
 1594年(皇紀2254)文禄3年9月の寿像
 土佐派の土佐光信か、その弟子により描かれたといわれる
 石田正継が伯蒲慧稜に求めた賛がある
 2024年(皇紀2684)令和6年5月
 重要文化財に指定される
 現在は大阪市立美術館寄託

 <袈裟と書状>
 石田三成が、朝鮮 文禄・慶長の役のときに、勧請開山 伯蒲禅師に送った自筆のもの

 <霊牌日鑑(れいばいにっかん)>
 寿聖院3世 宗亨禅師 済院(さいいん)となった石田三成の嫡男 石田重家が、石田三成にかかわる歴史を記したもの

 <屏風画>
 狩野永徳の筆

 <屏風画「猿回し」>
 海北友松の筆

 <石田三成肖像画>

 <書院襖絵「風浪双鯉図(ふうろうそうりず)」>
 2012年(皇紀2672)平成24年
 現代の絵師 村林由貴の筆

 <本堂襖絵「稲穂に雀図」>
 2013年(皇紀2673)平成25年
 現代の絵師 村林由貴の筆

【寿聖院へのアクセス】

 市バス 妙心寺・妙心寺北門 徒歩約5分
 京都バス 妙心寺・妙心寺北門 徒歩約5分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 花園駅 北へ徒歩約15分
 嵐電 北野線 妙心寺 南へ徒歩約10分

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