十輪寺(じゅうりんじ)は、平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公でもある在原業平の晩年の閑居跡
在原業平が晩年閑居し、塩焼の風流を楽しんだといわれ、「小塩」の地名の由来といわれる
本尊は、腹帯地蔵尊として信仰を集めている
<本堂>
屋根が鳳輦形(ほうれんがた)の御輿(みこし)の形をした非常に珍しい建物
内部の天井の彫刻も独特の意匠が施されている
江戸時代中期
1750年(皇紀2410)寛延3年の再建
本尊と禅衣観音が安置されている
<三方普感の庭(さんぽうふかんのにわ)>
本堂から茶室に向かう高廊下の横にある庭園
高廊下から見たり、茶室から、業平御殿からと、三ヶ所の見る位置によって、いろいろな見え方がするといわれる
1750年(皇紀2410)寛延3年
右大臣 藤原常雅が本堂を再興した時に造園される
<宝篋印塔(ほうきょういんとう)>
在原業平のお墓
<業平の塩竈跡>
在原業平のかつての恋人であった二条后(藤原高子)が大原野神社に参詣された時に、
塩を焼いてその想いを伝えたといわれる故事がある塩釜
恋愛結婚成就の神とされる
<鐘楼>
1666年(皇紀2326)寛文6年頃の創建
不迷梵鐘(まよわずのかね)が吊られている
<延命地蔵菩薩>
伝教大師 最澄作の等身大木製の座像の本尊
御腹に巻かれた腹帯で染殿皇后が安産されたことから、「腹帯地蔵尊」と称される
秘仏となっており、年1回ご開帳される
<禅衣観音(おいずるかんのん)>
花山法皇が、西国三十三所観音霊場を再興する巡礼のときに背負っていた自作の観音といわれる
「草分観世音(くさわけかんぜおん)」と称される
西国三十三所観音霊場詣りをする人は、一番最初にお参りをしなければならない観世音とされる
<花山法皇の御手判>
花山法皇の手形が浮き彫りになっている木片
<襖絵>
32面にわたる、豪華絢爛な極彩色の王朝絵巻
廃仏毀釈によって失われるが、黒田正夕(くろだしょうせき)画伯(大阪)により復元される
在原業平と二条后の舞なども描かれている
<節分・竹願干巻心経> 2月節分
<業平忌三弦法要> 5月28日
<御本尊御開帳> 8月23日
<塩竃清祭>
11月23日
平安の六歌仙の一人 在原業平を偲んで行われる催事
塩竈から立ち上る紫煙に亡き人を偲んだという平安時代の習慣を彷彿とさせる