海福院(かいふくいん)は、花園の近くにある臨済宗妙心寺のほぼ中央にある塔頭
戦国武将 福島正則が、建立した福島家の菩提寺
<本堂>
庭園に面して4部屋ある
6畳の「蘆雁の間」には、蘆(あし)と雁(がん)が襖に描かれており、襖をあけると「押入仕込茶室」がある
1616年(皇紀2276)元和2年
福島正則が本堂を建てるが、後に、等持院の方丈へ移築される
<押入仕込茶室>
本堂の「蘆雁の間」にある茶室
押入れの中、左端に丸炉が切ってあり、点茶や水屋などお茶の道具が仕込まれており、襖を開ければ茶室としても
使えるようになっている
妙心寺では、茶道はたしなむ程度のもので、嗜好としては禁止されていたといわれる
茶釜が置かれている炉は、四角ではなく丸い形で、京都でも数ヶ所しかない珍しいもの
<庭園>
江戸時代の秋里籬島の作庭といわれる
<半月の手水鉢>
庭園の本堂の前にある手水鉢
円山応挙の作
<墓地>
福島正則と家臣のお墓がある
福島正則の墓は全国に5ヶ所あるといわれる
<福島正則画像>
家臣が描いたといわれる
<正則の槍>
本堂の部屋の長押に置かれている
戦国武将 福島正則が、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで一番槍として戦功をあげた槍(やり)
約3m
福島正則は、賤ケ岳七本槍の一人とされる
<福島正則「陣中杯」「書状」>
<襖絵>
曾我蕭白の筆
<襖絵「山水図」>
狩野益信(かのうますのぶ)の筆
<襖絵「猿回しの図」>
妙心寺法堂の雲龍図を8年がかりで描いていた狩野探幽が、海福院で宿泊しており、
住職の留守中に、酔っ払って新調されたばかりの金箔唐紙の襖にいたずら描きをした絵
帰ってきた住職に叱責されたという
ほとんどの金箔が剥がれ落ちてしまい、下地に描かれた部分が少し残っている
<襖絵>
岸岱の筆
<陣中杯>
貝殻の杯
戦で死んだ者の血を入れて供養のために飲み干したといわれ、血痕が残っている
<6代目住職の肖像画>
円山応挙の作
<福島正則(ふくしままさのり)>
桃山時代から江戸時代初期にかけての戦国武将・大名
福島正則は、賤ケ岳七本槍の一人とされる
<賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)>
1583年(皇紀2243)天正11年
近江国伊香郡(現在の滋賀県長浜市)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家との戦い
織田信長の権力と体制の継承者となることを決定付けた戦い