観智院(かんちいん)は、東寺の塔頭の一つで別格本山とされる
後宇多法皇が、西院(御御堂)に参籠中に、21ヶ院の建立を予定されたうちの一つ
東寺の勧学院(かんがくいん)で、代々学僧が住持し、東寺の別当職も兼ねていた
日本最高といわれる質と量の密教聖教典籍が多く所蔵されている
<本堂(仏殿)>
五大虚空蔵菩薩が安置されている
<客殿(国宝)>
建物の玄関を入ったところの建物、仏殿の手前にある
1596年(皇紀2256)文禄5年
大地震により倒壊する
1605年(皇紀2265)慶長10年
ねねの寄進により、観智院第10世 亮盛(りょうせい)が再建したもの
入母屋造、銅板葺、軒唐破風を付けた車寄せ、押板形式の床の間など桃山時代の武家書院造の典型な住宅建築
違棚(ちがいたな)・棹縁天井(さおぶちてんじょう)・竹の節欄間(らんま)・頂台構(ちょうだいかまえ)などは、
住房として使われていたことを示し、住宅建築としても貴重なもの
内部は、「上段の間」「次の間」「羅城の間」「暗の間」「使者の間」がある
正面の床の間には、宮本武蔵の筆の「鷲の図」や襖絵「竹林図」がある
<五大の庭>
客殿前の枯山水庭園
弘法大師が、唐の長安で密教の全てを受法し帰国の海上で遭難しそうになったとき、
守護の海神に護られて無事に帰還される姿と、五大虚空蔵菩薩が表されている
向かって右側の築山に唐の長安・越洲、左側の築山が日本国を表しているとされる
中央に、遣唐船と、これを守護する龍神・神亀・鯱(しゃち)、無事に帰還されたことを表している
左の築山の中央に、五大虚空蔵菩薩を表した5つの石が立っている
その前には、礼拝石が置かれている
<書院>
僧侶の私室、居間
床の間と襖の全面に、浜田泰介による「四季の図」が描かれている
各部屋は、「春の朝」「初夏の芽」「秋の音」「深雪」と題される
<茶室 楓泉観(ふうせんかん)>
本堂(仏殿)にある
室町時代のもの
にじり口ができる以前の時代の足利家や上級武士が楽しんでいた書院風の茶室
4畳半で、貴人口を持つ本席と、奥の席からなる
江戸幕府御用絵師 狩野氏信の筆の「楼閣山水図」や、尾張の南画の中林竹洞の筆の「秋草図」などの襖絵がある
露地には、石灯篭、蹲踞(つくばい)、珍しい石の手水鉢などがある
<金剛蔵>
<宝蔵>
<勅使門>
<五大虚空蔵菩薩(重要文化財)>
息災・増益が祈願される本尊
虚空蔵菩薩の5つの無尽の智恵を5体の菩薩像で表したものともいわれる
5体は、次の虚空蔵菩薩で、それぞれ結跏趺坐(けっかふざ)して鳥獣の上の蓮華座に乗っている
向かって右側から金剛虚空蔵(獅子)、宝光虚空蔵(象)、法界虚空蔵(馬)、業用虚空蔵(孔雀)、蓮華虚空蔵(迦楼羅(かるら)
唐時代末期の作で、唐の都 長安の青龍寺金堂の本尊だったもの
847年(皇紀1507)承和14年
入唐八家の一人で安祥寺の恵運上人(えうんしょうにん)による唐からの請来仏(しょうらいぶつ)
「虚空蔵」とは、無尽蔵、広大無辺の智恵を無尽に持っていることをいう
この菩薩を念じて記憶力を得る「求聞持法(ぐもんじほう)」の虚空蔵として伝えられる
弘法大師 空海が、この法を勤操(ごんそう)より受けて、真言密教を開く足がかりとなったといわれる
<愛染明王像>
弓矢を持ち、恐ろしい形相をしている
愛染明王は、愛欲をむさぼる心「愛欲貧染」が名前の由来で、苦悩の一つの愛欲貧染を、金剛王菩薩の浄菩提心の境地にまで
高める煩悩即菩薩の本尊
縁結び・開運・子宝祈願の本尊として信仰を得ている
<東寺観智院聖教類(しょうぎょうるい)15,402件(重要文化財)>
杲宝(ごうほう)、賢宝(げんぽう)が、典籍や仏画・仏像など聖教類を南都北嶺から集めたものや、
写経されたものを観智院東南隅の金剛蔵に納めらた
質・量ともにわが国で最高のものといわれる
現在では東寺宝物館に収蔵されている
<東宝記(とうほうき)(国宝)>
杲宝(ごうほう)と二世 賢宝(けんぽう)が編集した東寺の寺誌
<「鷲の図」と「竹林の図」>
宮本武蔵の障壁画
「鷲の図」は、旋廻している鷲と、もう一羽の鷲が獲物に襲い掛かる様子が描かれた迫力のある絵柄
「竹林の図」は、二刀が交差して、その張り詰めた緊張感が描かれている
<襖絵「四季の図」>
浜田泰介画伯の作