蟹満寺(かにまんじ)は、木津川市山城町にある「今昔物語集」の「蟹の恩返し」の縁起の寺院
名前は、「蟹幡郷(かむはたきょう)」といわれる古代の地名に由来するともいわれる
かつては、広大な寺域があったといわれるが、現在は本堂、観音堂などを残すのみとなっている
発掘調査によると、北の天神川を越え、方二町(200m四方)の大寺院で、白鳳時代では最大級であり、
秦氏の権勢が現れているといわれる
<本堂>
本尊 釈迦如来(国宝)が安置されている
2010年(皇紀2670)平成22年に再建される
<観音堂>
かつての本尊 観世音菩薩が安置されている
観音堂の横には、蟹と大蛇の額が掲げられている
<庫裏>
<南無大師遍照金剛>
弘法大師 空海がお遍路をする像
<金銅造 釈迦如来坐像(国宝)>
本尊で、本堂中央に祀られている
由緒、伝来は不明
八尺八寸(約2.4m)、重量二千貫(約2.2トン)
結跏趺坐しており、頭部は身体に比較して大きく、四角い顔をしている
2005年(皇紀2665)平成17年の調査では、白鳳時代頃のものであることが判明した
白鳳時代の丈六サイズの金銅仏は、京都府唯一のもので、全国でも有数な貴重なもの
台座内に、創建当時の瓦積基壇の版築層上の土があり、焼失以後の土砂の流入はないとされ、
台座と釈迦如来坐像は、創建当初から一度も動かされていないといわれ、ほぼ原型のまま残されている
<木造金漆 聖観音菩薩坐像>
平安時代の作
旧本尊
左手に蓮蕾を持ち、右手は説法印を結んでいる
<「蟹満寺縁起図」>
<修正会・御護摩修行> 1月1日〜3日
<節分星祭> 2月節分
<釈迦如来涅槃会> 3月15日
<春彼岸会> 3月彼岸
<蟹供養放生会>
4月18日
蟹を扱う料理店や旅館関係者が参列し、泉にサワガニが放流される
<釈迦如来降誕会・脚気腰足痛の封じ祈祷大会> 5月8日
<納骨塔終日廻向> 8月7日
<お盆棚経> 8月13日〜15日
<地蔵盆> 8月24日
<秋彼岸会> 9月彼岸
<派祖興教大師陀羅尼会> 12月12日
<故事「蟹満寺縁起」>
「今昔物語集」巻十六第十六話など
昔、このあたりに善良で慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいたという
娘は、幼い頃から特に慈み深く、いつも観音経の普門品を読誦して観音菩薩を信仰していた
ある日、村人が、多くさんの蟹を捕えて食べようとしているのをみて、その蟹を買って草むらへ逃がしてあげた
父親が、畑仕事をしていると、蛙を呑み込もうとしている蛇を見つける
蛙を助けようとした父親は思わず「蛙を放してやったら娘を嫁にくれてやろう」と言ってしまう
すると、蛇は、蛙を放して姿を消した
その夜、五位の衣冠を着た青年が家を訪れてきて、昼間の約束を迫ってきた
父親は、困り果てて、嫁入仕度を理由にして、三日後に再び来るようにと青年を帰した
三日後、家族は、雨戸を堅く閉ざして恐ろしさで閉じこもっていた
青年は、怒り、本性を現して蛇の姿となって荒れ狂った
娘が、ひたすら観音経の普門品をとなえていると、温顔に輝く観音菩薩が現われて、「決して恐れることはない、
汝らの娘は慈悲の心深く常に善良な行いをされ、また我を信じて疑わず、我を念ずる観音力は、この危難を排するだろう」と
告げて姿を消した
すると、雨戸を叩く音が消え外も静かになった
夜が明けて、外に出てみると、ハサミで切り刻まれた大蛇と、無数の蟹の死骸が残されてた
家族は、観音菩薩の守護を感謝して、娘の身代りとなった、多くの蟹と蛇の霊を弔うため、御堂を建てて観音菩薩を祀り、
「蟹満寺」と名付け、観音経の普門品をとなえていたことから「普門山」と号したといわれる