笠置寺(かさぎでら)は、相楽郡笠置町にある真言宗智山派の寺院
標高289mの笠置山を境内とし、自然の岩壁に彫り刻んだ磨崖仏が多くあった
倒幕計画に失敗した後醍醐天皇が笠置山に逃げ込み、山頂には御在所があった(元弘の乱)
京都府の南東部、奈良県境にあり、東西に流れる木津川の南岸にあり、水陸交通の要所だった
山内に堂宇が点在し、巨石を巡る、奈良時代に開かれた修行場は、遊歩道として整備されている
<山門>
<本坊>
<本堂 正月堂>
弥勒磨崖仏を礼拝するための礼堂として建立された
何度か焼失して、その炎により弥勒磨崖仏が消えてしまったといわれる
752年(皇紀1412)天平勝宝4年
実忠によって建立される
観音悔過の法要が行われ、東大寺「お水取り」の発祥の地とされる
1957年(皇紀2617)昭和32年
現在のお堂が改修された
<後醍醐天皇行在所>
笠置山の頂上に造営された後醍醐天皇の行在所
三種の神器とともに行幸され、南朝の皇居となった
後醍醐天皇は、この地で「うかりける 身を秋風にさそわれて 思わぬ山のもみじを見る」と詠まれた
<大師堂>
<毘沙門堂>
2004年(皇紀2664)平成16年の建立
<鐘楼>
コンクリート造
<石造十三重塔(重要文化財)>
以前に存在していた木造十三重塔の跡に建てられている
鎌倉時代末期〜室町時代に建立された
<春日明神社>
鎌倉時代
春日明神(春日大神)が、貞慶により勧請される
元弘の乱で焼失する
2016年(皇紀2676)平成28年5月23日
御蓋山山頂の春日大社摂社本宮神社の社殿が、当寺鎮守の椿本護王宮の隣に移築されて、春日明神社として再興される
685年ぶりの再興となる
<椿本護王宮>
<稲荷社>
<修行場>
一周約800mの修行場
胎内くぐり、太鼓石、蟻の戸渡り、ゆるぎ石などの岩が点在している
<ゆるぎ石>
元弘の戦乱のとき、後醍醐天皇が、籠城した笠置山を取り囲む鎌倉幕府方に対して、
下から攻める敵方に岩を落として応戦したといわれる
不安定で、岩を押すとゴトゴトと揺れるので名付けられた
<笠やん追悼碑>
1900年(皇紀2560)明治33年頃
笠置寺に住み着き、案内をするという名物の野良猫「笠やん」の追悼碑
<文化財収蔵庫>
<もみじ公園の紅葉>
1410年(皇紀2070)応永17年頃
宝蔵坊跡にもみじの木々が植樹された
紅葉のシーズンの早朝には、雲海とともに赤、黄、緑と、錦を織りなす美しい風景が楽しめる
<弥勒磨崖仏>
笠置寺の本尊
正月堂を背にして、右から「弥勒」「文殊」「薬師」と称される三つの巨石が並んでいる
高さ15mの壁面に、弥勒菩薩立像が刻まれていた
現在は、光背の形だけが残る
664年(皇紀1324)天智天皇3年
天人が現れて掘られたものといわれる
<伝虚空蔵磨崖仏>
12mの岩肌に刻まれた9mの磨崖仏で、戦火をまぬがれて現存している
花崗岩の絶壁に蓮華座上に坐し、右手を挙げ、左手を膝上に置き、光背が穿たれた虚空蔵菩薩像が線刻されている
虚空蔵菩薩と称されているが、如意輪観音または弥勒菩薩ともいわれる
奈良時代から平安時代後期の間に造られた
<解脱鐘(重要文化財)>
蓮の花がイメージされ、底の部分に6カ所の切り込みを入れて六葉形にされた日本では珍しい釣鐘
銘文が、鐘の側面でなく下面に刻まれている
1196年(皇紀1856)建久7年に鋳造されたもの
銘文によると、東大寺の重源和尚から、笠置寺の般若臺の鐘として解脱上人に寄進された
<地蔵講式・弥勒講式 貞慶筆(重要文化財)>
<笠置寺再興勧進状 1巻(京都府指定有形文化財)>
<紙本著色 笠置寺縁起 3巻(京都府指定有形文化財)>
<地名の由来>
「今昔物語集」巻11によると
天智天皇の皇子 大友皇子が馬に乗って鹿狩りをしていたとき、笠置山の山中の断崖絶壁で立ち往生してしまう
鹿は断崖を越えて逃げ、乗っていた馬は断崖の淵で動きがとれなくなってしまう
大友皇子は、山の神に「もし助けてくれれば、この岩に弥勒菩薩の像を刻みましょう」と誓願したところ、無事に助かり、
次に来る時の目印として、自分の笠を置いていったといわれ、笠置の地名の由来となった
<雲海>
谷間を流れる木津川で、秋から早春にかけて、放射冷却で冷え、風が穏やかな朝に谷間に立ちこめる川霧が雲海となる
<後醍醐天皇の歌>
倒幕計画に失敗し東大寺に向かった後醍醐天皇は、東大寺が頼れないことを知り笠置山に逃げ込む(元弘の乱)
笠置山にて「うかりける 身を秋風にさそわれて 思わぬ山の もみじをぞみる」と詠まれた
<東大寺お水取りの起源>
奈良時代に東大寺お水取りの起源といわれる正月堂が建立され、
東大寺の大仏殿建立のとき、良弁僧正・実忠和尚によって、
お水取り「観音悔過の法(かんのんけかのほう)」が、正月堂で始められたといわれる
良弁僧正が、笠置山の千手窟に籠って修法を行い、
その功徳によって、木津川の舟運の妨げとなっていた巨岩を掘削することができたといわれる
良弁の弟子 実忠和尚が、弥勒菩薩の住む兜率天へつながっているといわれる笠置山の龍穴から
兜率天にいたり四十九院を巡り、そこで習得した行法が、東大寺のお水取りであるといわれる
<笠置山>
標高289m
京都府の南東部、奈良県境に位置し、東西に流れる木津川の南岸にある
山中に花崗岩の巨岩が露出し、山岳信仰、巨石信仰の霊地であったといわれる
平城京の宮殿や寺院などの建築用材が木津川の上流から舟で運ばれたといわれ、
奈良方面からの月ヶ瀬街道と、京都方面から伊賀へ向かう伊賀街道の交わる地であり水陸交通の要地