孤篷庵(こほうあん)は、紫野にある大徳寺の塔頭
他の塔頭とは離れ、大徳寺の西端に立つ
「孤篷」とは「孤舟(こしゅう)」のことで、境内から見える船岡山を孤舟に見たてて名付けたといわれ、
小堀遠州が師事した春屋宗園(しゅんおくそうえん)から授かった号
茶室や庭園も、湖水に浮ぶ孤舟に擬して作られているといわれる
<方丈(重要文化財)>
本堂
瓦葺、入母屋造
1793年(皇紀2453)寛政5年に焼失
1797年(皇紀2457)寛政9年
雲林院客殿が移築される
<書院(重要文化財)>
「直入軒(じきにゅうけん)」と称される
1799年(皇紀2459)寛政11年の棟札がある
<茶室 忘筌席(重要文化財)>
九畳と三畳の相伴席(しょうばんせき)からなる十二畳の広間の書院式茶席
一間幅の床(とこ)がある
床脇の手前座の壁は、腰に明かり障子をはめ込み、草庵風になっている
天井は、板の木目が浮き出た「砂摺り天井(すなずりてんじょう)」になっている
庭園に面した西側には広縁があり、広縁と庭の境には明かり障子がはめ込まれている
この明かり障子は、下半分が、中敷居を通して吹き放ち障子になって、庭園を眺める額縁の効果がある
「露結(ろけつ)の手水鉢」と、各地の名石を集めて作った寄燈籠を近景として、
背後の書院 直入軒の庭を遠景として取り込んだ構成
「忘筌(ぼうせん)」とは、荘子(そうじ)の「魚ヲ得テ筌ヲ忘レ」という句にちなんだものといわれる
「目的を達すれば道具(筌:魚をとるための道具)の存在を忘れる」という禅の悟りがしるされる
金地院の八窓席、曼殊院の八窓席とともに京都三名席の一つ
一度焼失
1797年(皇紀2457)寛政9年
松平不昧により復元、再建される
<茶室 山雲床(さんうんじょう)>
書院の北に接する四畳半台目の茶室
大徳寺龍光院の茶席 密庵の写しといわれる
<庭園(国の史跡、名勝)>
小堀遠州の作庭
方丈南庭は、直線的な刈り込みがされている幾何学的な庭
書院南庭は、刈り込みにより近江八景を表現した庭
<茶室 大圓庵>
江戸時代後期の松江藩藩主で大名茶人 松平不昧(まつだいらふまい)が最晩年に建てた茶室
1817年(皇紀2477)文化14年
松平不昧は、大名茶人 小堀遠州を崇敬し、小堀遠州ゆかりの孤篷庵を再建する
そのときに、自らの菩提所として孤篷庵の西側に大圓庵を建立し、「席披きの茶会」を開く
その後、大圓庵は失火で焼失する
2017年(皇紀2677)平成29年
孤篷庵の小堀亮敬住職により、古図をもとに小堀遠州が植えたといわれるヒノキなども建材にして再建される
2018年(皇紀2678)平成30年3月
孤篷庵中興開祖の寰海和尚(かんかいおしょう)の二百年忌の法要の後、「新生大圓庵席披き茶会」が開かれる
<小堀遠州像>
晩年の小堀遠州の姿を想像して描かれたもの
上部には、小堀遠州の参禅の師である春屋宗園の賛がある
<達磨図>
墨谿の筆
墨谿は、雪舟と同じく周文に師事していた
<紙本墨書大燈国師墨蹟(重要文化財)>
大燈国師 宗峰妙超の墨蹟
<井戸茶碗(国宝)>
「喜左衛門」の銘がある
15世紀の朝鮮王朝時代の作
日用雑器として作られた茶碗を、日本の茶人が茶器に見たてたものといわれる
「喜左衛門井戸」は、井戸茶碗の中でも名品と称されるもの
大名茶人 松江藩主 松平不昧など、この茶碗の所持者が次々と腫物ができたため、孤篷庵に寄進されたといわれる