金福寺は、一乗寺にある寺院
俳句の聖地といわれ、松尾芭蕉の碑、松尾芭蕉像、与謝蕪村の遺愛品なども残されている
小説「花の生涯」のヒロイン 村山たか女が、波乱の生涯を尼として終えた寺院
3月は、紅梅、馬酔木(あしび)
6月からは、京鹿子(きょうかのこ)、桔梗(ききょう)
11月は、山茶花(さざんか)と紅葉の名所
芭蕉庵からは、洛中が一望できる
<本堂>
与謝蕪村と、村山たか女の遺品が安置されている
庭園は、皐月の築山と、白砂の簡素な枯山水庭園
3段の生垣越しには、素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見える
<茶室 芭蕉庵>
萱葺き屋根
松尾芭蕉が、鉄舟和尚を訪ね、禅や風雅の道について語り合い親交を深め、境内裏の庵を「芭蕉庵」と称するようになった
鉄舟和尚の死後、芭蕉庵は荒廃する
80年後
松尾芭蕉を偲んで訪れた与謝蕪村により、現在の芭蕉庵が再興され、
与謝蕪村一門がたびたび芭蕉庵を訪れ、「写経社」と称する俳句結社を創設し、4月と9月に句会を開いた
再興された落成日によまれた句
「耳目肺腸(じもくはいちょう) ここに玉巻く(たままく) 芭蕉庵」
<弁天堂>
村山たか女が寄進して創建する
<歌碑>
同じ石碑に与謝蕪村と、蕪村の支援者だった寺村百池の句が刻まれている
「花守は野守に劣る今日の月」 与謝蕪村
「西と見て日は入りにけり春の海」 寺村百池
<墓地>
与謝蕪村ら近世の俳人らのお墓が、芭蕉庵の背後の丘にある
<村山たか女>
舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」のヒロイン
1862年(皇紀2522)文久2年
勤皇の志士によって三条河原でさらし者にされたが、3日後に助けられて金福寺に尼として入山する
1876年(皇紀2536)明治9年まで
14年間すごし、当寺で生涯を終えた
法名「清光素省禅」