こぬか薬師(こぬかやくし)は、伝教大師 最澄が彫ったとされる薬師如来像を祀る小さな寺院
隆盛していたときには、大黒町一帯が境内で、薬の市が立って全国各地から薬草・薬種を持ち集まって売買されていたといわれる
現在は、本堂と庫裡だけになっている
<本堂>
<庫裡(くり)>
<薬師如来像>
本尊
伝教大師 最澄が「一刀三礼の礼を尽くして(1つ刻むたびに3回拝んで)」彫った七尊体の一体
(他のものは、延暦寺の根本中堂にのみ1体が現存している)
美濃国(現在の岐阜県)の医徳堂に安置されていたのを、織田信長の勧請で薬師院に移されたといわれる
<故事>
鎌倉時代
1230年(皇紀1890)寛喜2年の冬
異常気象による極寒の中で、疫病が大流行していたある夜、
斉藤山城守の夢に本尊の薬師如来が現れ、
「一切の病苦の衆生よ、わが前に来れば諸病ことごとく除いてやる。早く来ぬか来ぬか」と告げられた
斉藤山城守は、感激して世間にこのお告げを広め、遠国からも参拝者が訪れ疫病が早々に治まったといわれる
その後、薬師院を「不来采薬師(こぬかやくし)」「こぬか薬師」と称されるようになった
<鹿子髪(かのこがみ)>
この付近には、鹿子髪(かのこがみ)を結う女性が多く、その女性達の信仰が厚かったことから
「かのこ薬師」と称され、それが訛って「こぬか薬師」となったともいわれる
<本尊薬師如来開扉法要>
10月8日
皆人の古ぬを於楚しと 満ちたまう 薬師のちかい 多能もし起可那
(みなびとのこぬをおそしと まちたまう やくしのちかい たのもしきかな)