金蔵寺(こんぞうじ)は、西京の小塩山中腹で、標高約350mの斜面にある「今昔物語」ゆかりの寺院
山の斜面、石垣と石段の間に建物が建ち並んでいる
9月中旬〜10月中旬は、秋明菊、秋には紅葉の名所となる
小塩山の東南斜面の中腹にあり、斜面に沿って建物が建ち並んでいる
<仁王門>
急な石段を登っていく
<本堂>
十一面千手観音菩薩像が祀られている
<愛宕大権現堂>
本堂の背後
1870年(皇紀2530)明治3年5月
神仏分離令によって、愛宕神社より本尊 防火勝軍地蔵愛宕大権現が移され祀られている
<開山堂>
本堂の右手
開祖 隆豊禅師(りゅうほうぜんじ)と歴代の僧師が祀られている
桂昌院により建立される
<護摩堂>
石段途中の右手
<庫裡>
<客殿>
石段途中の左手
<桂昌院廟所>
本堂の左奥
内部の石塔下に、桂昌院の遺髪が納められている
<聖武天皇経塚碑>
<下の川弁財天>
弁財天が祀られている
<長嘯亭>
本堂の北
京都市内が一望できる
<鳥帽子岩>
<影向松>
<一願不動明王>
開祖 隆豊禅師が彫ったという石仏の不動明王が祀られている
一度に一つの願いを必ず叶えてくださるといわれる
<産の滝(さんのたき)>
高さ約12m
向日明神(文武天皇の孫)(幼名 楠松丸)が、この滝の近くで産まれたといわれる
<十一面千手観音菩薩像>
718年(皇紀1378)養老2年
「金蔵寺略縁起」によると、開祖 隆豊禅師(りゅうほうぜんじ)が、向日明神(文武天皇の孫)(幼名 楠松丸)の手引きで、
楠木から天狗の爪で彫ったといわれる
<桂昌院>
幼い頃、両親に連れられて、善峯寺や金蔵寺に参詣していた
13歳のとき、春日局に仕えて江戸城内で奉仕しているうち、三代将軍 徳川家光の寵愛を得て徳松を出産する
徳川家光が亡くなった後、「桂昌院」と称する
徳松が、五代将軍 徳川綱吉となり、将軍の母親として江戸城に入る
幼少の頃の恩に報いるため、善峯寺や金蔵寺などの再建に尽力された
<今昔物語ゆかりの地>
1120年(皇紀1780)元永3年頃の著書
「今昔物語」巻17第39
「京の西山に西岩蔵という山寺あり、その山寺に仙久という持経住けり・・・」と記載されている
<小塩山京都府歴史的自然環境保全地域>
金蔵寺とその周辺地域が指定されている
1987年(皇紀2647)昭和62年3月10日指定
<石井神社>
小塩山を下った山腹、坂本集落の奥の竹林の中にある神社
かつて、護摩堂北、御香泉(雲生水)の上に、泉の神・水の神さんとして祀られていた式内社