光縁寺(こうえんじ)は、壬生(四条大宮の南西、綾小路通に面して)にある寺院
浄土宗の寺で、知恩院の末寺
新選組が屯所とした壬生の前川家屋敷から近い場所にあったことや、
新選組総長 山南敬助と当時の住職良誉上人との交流が深かったことから、亡くなった新選組隊士の埋葬がされている
<本堂>
本尊 阿弥陀如来像が祀られてる
1819年(皇紀2479)文政2年
現在の本堂が再建される
<墓地>
境内北がある
かつては、現在地の北にある嵐電の線路付近にあり、線路敷設に伴い南に移転した
<新撰組関係者>
新選組関係者の名が刻まれた墓石が立ち並んでいる
1898年(皇紀2558)明治31年、第22世 良誉により立てられた
<山南敬助のお墓>
<大石造酒蔵のお墓>
<沖田氏縁者のお墓>
<画家 中島来章のお墓>
<阿弥陀如来像>
本堂の本尊
左脇侍(向かって右)に観音菩薩、右脇侍に勢至菩薩
<善導大師像>
<法然上人像>
<書籍>
新選組に関する書籍が多数収蔵されている
<寺紋>
丸に右離れ三つ葉立葵
新選組総長 山南敬助の家紋と同じ
<新選組>
新選組の屯所だった前川家屋敷から近く、門前近くに新選組の馬小屋があり、日々、隊士たちが往来していた
当時の住職 第22世 良誉上人は、門前に放置された困窮者の遺骸を葬っていた
新選組総長 山南敬助との縁で、命を落とした隊士らも葬るようになった
<新選組総長 山南敬助>
山門の瓦あった寺紋が山南家と同じ家紋「丸に右離れ三つ葉立葵」であることを見つけ、
当時の住職 第22世 良誉上人と同年代でもあり、親交が生まれたといわれる
その縁で、屯所で切腹した隊士などが光縁寺に埋葬されることになる
山南敬助自身も、新選組を脱走して、旧前川邸に戻されて切腹し、光縁寺に埋葬された
毎年、旧前川邸では、山南敬助を弔う「山南忌(さんなんき)」が行われている