香隆寺(こうりゅうじ)は、平安時代に現在の等持院の北にあったとされる寺院
船岡山の西の蓮台野にあり、朝廷の葬送菩提の寺とされ、付近一帯は、皇室の荼毘所になっていた
平家物語第1巻に「香隆寺の丑寅(うしとら)に蓮台野」と記されている
<後朱雀天皇>
1045年(皇紀1705)寛徳2年2月21日
香隆寺の乾の原で火葬される
遺骨は、仁和寺の円教寺に納められる
後朱雀天皇火葬塚が整備されている
<白河天皇>
衣笠山東麓の御墓所で火葬され、香隆寺に仮安置され、鳥羽離宮の成菩提院の三重塔の下に納められる
<堀河天皇>
香隆寺の坤(南西)の野の山作所で火葬にされた
拾骨された遺骨は、香隆寺の僧房に3年間ほど安置された
堀河天皇火葬塚が整備されている
<二条天皇>
香隆寺の東北の野で火葬にされた
遺骨は、一時的に、香隆寺本堂に安置され、香隆寺境内に三昧堂が創建され納められる
二条天皇香隆寺陵が整備されている