高桐院(こうとういん)は、大徳寺の塔頭
戦国時代に智将と称され、茶人としては利休七哲の1人とされる細川忠興の創建
京都の紅葉の名所
2月〜3月は、「雪中花」といわれる椿(つばき)の名所
<本堂(客殿)>
現在の建物は、開基 細川三斎の子孫の侯爵 細川護立(ほそかわもりたつ)が寄進したもの
明治維新
廃仏毀釈により、長谷川等伯が描いたといわれる襖絵があったが失われてしまった
<書院 意北軒(いほくけん)>
千利休の邸宅を移築したといわれる
<茶室 松向軒>
書院に続く茶室
細川三斎好みといわれる二畳台目(にじょうだいめ)、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされている
豊臣秀吉が催した北野大茶会のときに、千利休の茶を忠実に継承して創建される
「松向軒」の名前は、細川三斎の法名「松向寺殿三斎宗立」に由来する
<茶室鳳来>
裏千家 円能斎好みの茶室
加藤清正が朝鮮出兵のときに持ち帰り、細川三斎に贈られたものといわれる蹲踞(つくばい)が、前庭に置かれている
<本堂南庭>
自然のままの楓(カエデ)一色の林で「楓の庭」と称される
一面の苔地の中に一基の灯籠が立っている
<西庭>
飛石本位で深山幽谷の趣きをもつ
「袈裟型(けさがた)の手水鉢」が据えられている
<細川三斎夫妻の墓塔>
細川三斎とガラシャ夫人(明智光秀の娘)のお墓
墓塔は「春日灯籠」「無双」「欠灯篭」と称される
細川三斎が生前こよなく愛し、自ら墓石に指定したといわれる
もとは千利休の秘蔵の灯籠であったが、豊臣秀吉に欲しがられ取り上げられそうになったために、
千利休は故意に笠の裏面の一部を削って「傷物」と称して豊臣秀吉に召し上げを断ったといわれる
千利休が切腹した後に、細川三斎へ遺贈されたといわれる
その後、完全を忌む細川三斎が、蕨手、灯口、横の部分を欠いたといわれる
<墓地>
細川家墓地から藪を挟んだ裏手にある
<長岡休無のお墓>
細川三斎とガラシャの嫡男で、追放された細川忠隆(長岡休無)のお墓
<興津弥五右衛門のお墓>
細川三斎の三回忌に殉死したといわれる
<出雲阿国(いずものおくに)のお墓>
歌舞伎の創始者 出雲阿国のお墓がある
<名古屋山三郎のお墓>
歌舞伎踊りの名手
<雪中花(せっちゅうか)>
墓所にある椿
白に紅すじの入った単弁花で、子房に毛があり、葉は披針状楕円形になっている
<絹本墨画 山水図 2幅 附 絹本墨画 楊柳観音菩薩像(国宝)>
高桐院の創建時からの山水画
中国 南宋の宮廷画院の画家 李唐(りとう)の作品
2幅のうち1幅に描かれた樹木の部分に「李唐画」の隠し落款(サイン)がある
元は三幅対(さんぷくつい)とされていて、左右の山水図の間に、中央に楊柳観音菩薩像が置かれていた
現在は、楊柳観音菩薩像は、2幅の「附」とされている
<絹本着色 牡丹図2幅(重要文化財)>
中国 元の花鳥画家である銭舜挙(せんしゅんきょ)の作といわれる
豊臣秀吉の北野大茶会に用いたといわれる牡丹図の傑作
<絹本着色 稲葉良籌像(いなばりょうちゅうぞう)(重要文化財)>
<玉甫紹琮像>
高桐院の開山 玉甫紹琮の64歳の頂相
長谷川等伯の晩年の作といわれる
<細川忠興像>
<高士騎驢図屏風>
四曲一隻の屏風
長谷川等伯の作といわれる
<日吉山王祭礼屏風>
大津市 日吉大社の山王祭を描いた六曲一双の屏風
土佐光起の作ともいわれる
<青井戸茶碗>
「緑毛」の銘がある井戸茶碗の名品
千利休が愛用したものといわれる