光雲寺(こううんじ)は、哲学の道の近くにある南禅寺の境外塔頭
二代将軍 徳川秀忠と江(ごう)の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院 和子の尽力で、菩提寺として再興される
歴代皇室の尊崇も篤く、久邇宮家(くにのみやけ)の菩提所となっている
移転当時は、境内には七堂伽藍が建立された広大なものであったが、火災や、明治時代の廃仏毀釈の影響で縮小された
<仏殿>
創建当時のもの
本堂と禅堂とを兼ねている
須弥壇上には、本尊の釈迦如来、左右に阿難(あなん)・迦葉(かしょう)の二尊者像が安置されている
<鐘楼と鐘>
明正天皇の寄進によるもの
<書院南庭>
琵琶湖疏水の水を引き、若王子山を借景とした池泉回遊式庭園
1927年(皇紀2587)昭和2年
昭和時代初期に、七代目小川治兵衛により手が加えられている
<碼碯手洗鉢(めのうちょうずばち)>
書院南庭の東北隅にある手水鉢
1592年(皇紀2252)文禄元年、加藤清正により朝鮮から伝わったもの
その後、徳川家のものとなり、さらに、東福門院により一文字手水と一緒に寄進された
「都林泉名勝図会」にも描かれている
<お墓>
光雲寺の背後に、後水尾天皇々女顕子内親王のお墓がある
門前北に、久邇宮家のお墓がある
<釈迦如来坐像>
本尊
東福門院から賜ったもの
<聖観音菩薩像(しょうかんのんぞう)>
東福門院の念持仏
運慶の作といわれる
長年秘仏とされてきていた
<木造 東福門院坐像(京都市指定文化財)>
東福門院の死後すぐに造られたもの
<金銅 仏舎利塔(ぶっしゃりとう)(京都市指定文化財)>
東福門院念持のもので、菊と葵の御紋が刻まれている