耕雲寺(こううんじ)は、亀岡市市街地北部の千歳町にある臨済宗の妙心寺の末寺
七福神の恵比須天が祀られている丹波七福神めぐり第5番札所
亀岡盆地の田園風景の絶景が望める
江戸時代初期
1610年(皇紀2270)慶長15年頃に創建されたといわれる
火災による焼失で、開山・開基などが不詳となった
精鍛錬公禅師により再興される
1695年(皇紀2355)元禄8年
妙心寺の塔頭 麟祥院の妙心寺233世 鰲雲和尚を迎えて復興する
稲葉正成と春日局の嫡孫 稲葉正則の次男である駿河守 稲葉正倚が、父親 稲葉正則の菩提追善のために供養を受けられる
1729年(皇紀2389)享保14年
火災により、精鍛錬公禅師、弟子の宣練首座が焼死し、堂宇も焼失する
1737年(皇紀2397)元文2年
頑溪全愚和尚により、堂宇が再建される
1785年(皇紀2445)天明5年
神山志祐和尚により、観音堂が建立される(川東観音霊場第4番札所)
岩を積み上げて山上まで道が造られ、丹波七福神めぐりで最も高いところにあり、亀岡盆地の田園風景の絶景が望める
<本堂>
屋根は現在風に直されている
<観音堂>
本堂と続いて建てられている
本尊の聖観音菩薩が祀られている
1785年(皇紀2445)天明5年
神山志祐和尚により建立される(川東観音霊場第4番札所)
<恵比寿堂>
商売繁盛、厄除けのご利益がある恵比須天が祀られている
丹波七福神めぐり第5番
<大日堂>
鎌倉時代の叡山系石仏の阿弥陀如来九体仏と不動明王が安置されている
<庭園>
多くの石仏が置かれている
<中老子の三幅画軸>
春日局の孫の駿河守 明智正喬の作