久昌院(きゅうしょういん)は、建仁寺境内の西の通りに面して建つ、建仁寺の塔頭の一つ
徳川家康に仕えた武将 奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の菩提寺として創建される
<本堂(方丈)>
中央に開基 三江紹益の木像
その右に亀姫が持念仏としていた薬師如来坐像(室町時代の作)が本尊として祀られている
左には、奥平信昌と亀姫の位牌が安置されている
<書院「高松軒」>
本堂の裏(西側)にある
北奥には、三畳台目の茶室「遠州別好の席(えんしゅうべつごのみのせき)」がある
手前座の中柱は大きく歪んだものが用いられ、床前正客の座の天井は船底型の化粧屋根裏、
躙口へは、塀の間の細い露地に屋根をかけており、入口が複雑で変化に富んだ茶席
十二畳の座敷
西南隅には2畳台目の上段の間があり、花頭窓の付書院になっている
八畳台目の座敷
本堂と書院の間には、坪庭がある
<玄関>
山門の正面
<庫裏>
玄関の右手
<客殿>
江戸時代中期、作者不詳の五畳半の向板入り茶室がある
<庭園>
本堂前の大規模な庭園
心字池を中心に、二段に刈り込まれた生垣の奥に建仁寺の堂宇や東山を望む池泉観賞式(座観)
江戸時代中期の作庭と推定され、作庭者は不明
背後に上下2段、高めの直線的な生垣があり、これらの角刈込が2本の水平線を引いている
右手の生垣は一段高くなっている
生垣奥の樹木、建仁寺の三門や建物、東山も借景として取り入れた
生垣前、池の周囲には、灯籠、松などの樹木、丸刈込など多くの植栽があり、
霧島ツツジ・皐月(さつき)、百日紅(サルスベリ)、萩などがある
前景に苔、白砂が敷かれている
2000年(皇紀2660)平成12年
中根史郎により池の護岸、池底の改修が行われた
<墓地>
本堂前庭の南東にある
赤松則村、雪村友梅のお墓がある
<奥平家の霊屋>
墓地にある
銅板屋根の2.7m四方の小堂
奥平信昌・亀姫夫妻の五輪石塔が安置されている
<鎮守社>
山門を入った右手にある
<鐘楼>
山門の左にある
梵鐘には、三江紹益和尚の銘がある
1627年(皇紀2287)寛永4年
奥平信昌のの13回忌にあたり、四男 大和郡山城主 松平忠明の寄進で、三江紹益和尚が鐘を鋳造し、鐘楼が創建された
<障壁画「長篠合戦の図」>
本堂上間にある
宇喜多一蕙(うきたいっけい)作
奥平信昌の武勲を描く
1575年(皇紀2235)天正3年の織田・徳川連合軍と武田軍による長篠の戦
奥平信昌が、武田勝頼の大軍から三河長篠城に1ヶ月あまり籠城して守り勝利した功績を称え描かれた
<絹本墨画「山水図」>
江戸時代の曾我蕭白(そがしょうはく)筆
<紙本墨画「牧童吹笛図」>
江戸時代の長澤芦雪(ながさわろせつ)筆