萬福寺(まんぷくじ)は、宇治市の北部寄り、宇治川の西にある寺院
黄檗宗の大本山で、末寺は全国に約500寺ある
中国 明から招聘された中国臨済宗の隠元隆きにより開宗される
建物、仏像などはすべて中国様式でつくられ、寺内で使われる言葉、精進料理、儀式の作法なども中国式で、
日本の文化全体に大きな影響を与えたといわれる
6月下旬から蓮(ハス)の花の名所
日本の一般的な寺院建築とは異なり、中国 明の様式を伝える異国情緒あふれる伽藍構成になっている
総門は西向に建ち、伽藍全体が西を正面として建てられている
建材も南方産のチーク材が使われている
萬福寺の16棟と松隠堂の7棟の計23棟と回廊などが重要文化財に指定されている
主要な伽藍の周囲、間は、廻廊により縦横に結ばれている、中国 明朝様式を取り入れた伽藍配置になっている
上空から見ると、全山で龍を表すといわれ、「龍の伽藍」と称される
江戸時代の創建以来、一度の火災にもあっていない
<大雄宝殿(だいおうほうでん)(本堂)(国宝)>
三間三間、本瓦葺、正面・側面とも22mあり、境内最大の建物
歇山重檐式(二重重ね入母屋造)、重層ではなく下の屋根は裳階付き、正面一間は吹き放し
建物の前には白砂を敷いた「月台」がある
全て西域木(鉄梨木、チーク材)が用いられている
「大雄」とは、釈迦如来を意味しており、本尊釈迦三尊像と、十八羅漢像が安置されている
扁額「大雄宝殿」は、隠元隆きの筆
4本の大きな聯(れん)(隠元隆き、木庵、即非、彗林、高泉、悦山道宗など筆)が掛けられている
天井付近には、明治天皇筆「真空」の扁額が掲げられている
天井は、蛇腹天井(黄檗天井)
日月を象徴する二つの円窓が西面して開けられている
正面小扉に魔除けの意味がある桃戸が付けられている
1668年(皇紀2328)寛文8年に、豪商 勝性印居士や徳川幕府の寄進により完成
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<法堂(はっとう)(国宝)>
一重入母屋造、棧瓦葺、5間6間、正面1間通は吹き放し
内部には須弥壇のみを置き、仏像は安置されていない
上堂や住持の晋山式などに用いられている
須弥壇上の額「法堂」は、隠元隆きの筆で、黄檗山では唯一、楷書で書かれている
昆尼垣の額は4代 独湛の筆
費隠書の「獅子吼」
内の聯(れん)は、2代 木庵、3代 彗林、外の聯は、6代 千呆の筆で、すべて重要文化財
天井は、蛇腹天井(黄檗天井)
匂欄は、卍崩しの文様(卍崩し組子)
1662年(皇紀2322)寛文2年に「円通殿」として建立される
1664年(皇紀2324)寛文4年に法堂となる
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<天王殿(国宝)>
1668年(皇紀2328)寛文8年の完成
一重入母屋造、本瓦葺、五間三間で正面一間通りは吹き放し
堂内に2本の円柱がある
黄檗宗の寺院にしか見られないもので、珍しく本堂の手前に建てられている
弥勒菩薩の化身とされる布袋尊、韋駄天像、四天王像が安置されている
2024年(皇紀2684)令和6年 国宝に指定される
<西方丈(重要文化財)>
入母屋造、柿葺
創建時の1661年(皇紀2321)寛文元年の建立
隠元隆き時代の建物で唯一残っているもの
<威徳殿(重要文化財)>
西方丈の奥(東)(右手)にある
徳川歴代将軍が祀られている
かつては、雙鶴亭があった
<総門(重要文化財)>
三間一戸、切妻造、本瓦葺、平面的には四脚門
瓦屋根は、中央部分が高く左右が低くなった段差がある中国様式のものが使われている
屋根の上の左右には、摩伽羅(まから)という想像の生物が乗っている
鯱(しゃち)ではなく、鰭(ひれ)の代わりに足が生えている
1661年(皇紀2321)寛文元年の建立
1693年(皇紀2353)元禄6年の再建
<三門(重要文化財)>
1678年(皇紀2338)延宝6年の建立
三間三戸、重層の楼門造、門の正面柱間が3間で、3間すべてが通路になっている
(日本の一般的な禅宗寺院の三門は「五間三戸」のものが多い)
左右に裳階(もこし)、階段を覆う山廊がある
大棟(屋根)中央に中国風の火焔付き宝珠がある
<松隠堂(重要文化財)>
三門をくぐった左側(北側)の一画
隠元隆きが、住持を譲った後の隠居所として居住したところ
没後は、開山塔院となる
1663年(皇紀2323)寛文3年の建立
隠元隆きに帰依した関備前守長政夫人性温の寄進による屋敷を萬福寺に移築されたもの
元禄年間(1688年〜1704年)に現在の地に移転増築された
1694年(皇紀2354)元禄7年の再建
<開山堂(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺、一重裳階付き、三間一間、屋根の宝珠、正面は吹き放し、背面に向唐破風造の後室が付く
蛇腹天井になっている
正面小扉に魔除けの意味がある桃戸が付けられている
隠元隆きの師 費隠通容筆「瞎驢眼(かつろげん)」、木庵筆「開山堂」がかかる
1675年(皇紀2335)延宝3年の建立、1694年(皇紀2354)元禄7年の再建
72歳のときの姿の隠元木像が安置されている
毎月1日・15日に祝拝、3日に開山忌、4月3日に祥忌が行われる
<通玄門(重要文化財)>
四脚門、切妻造、本瓦葺、円柱の本柱が軒まで延びる
1665年(皇紀2325)寛文5年の建立
<東方丈(重要文化財)>
入母屋造、柿葺、中央に寿位がある
襖や壁には、江戸時代の絵師 池大雅「五百羅漢の図」「虎渓三笑の図」「西湖の図」が描かれていた
額、聯(れん)は、木庵の筆
1663年(皇紀2323)寛文3年の建立
1日、15日の朝礼、式礼では、住職がこの寿位で行われる
<甘露堂>
住職の移住するところ
東方丈の奥(東)(左手)にある
<斎堂(禅悦堂)(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺、桁行5間、梁間6間
高脚飯台と腰掛があり、本山僧衆の食堂となっている
境内、三黙道場(斎堂、浴場、禅堂)の一つ
1668年(皇紀2328)寛文8年の建立
緊那羅王菩薩立像が祀られている
1662年(皇紀2322)寛文2年の范道生の作で、青面朱髪、右手に斧を持っている、かつては法堂にあった
聯・額ともに木庵の筆
<伽藍堂(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺
伽藍を守護する伽藍神を祀る
本尊は華光菩薩像、両脇には三面大黒天、弁財天を祀り、その前に三国時代の武将 関関帝が立つ
1669年(皇紀2329)寛文9年の建立
<祖師堂(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺、桁行3間、梁間3間
1669年(皇紀2329)寛文9年、今津浄水居士寄進により建立される
達磨大師坐像とともに、左右に歴代住持の位牌が祀られている
柱聯は、木庵の筆
<鐘楼(つり鐘堂)(重要文化財)>
重層入母屋造、本瓦葺
鼓楼と相対し、同じ大きさとなっている
階上に梵鐘がある
1668年(皇紀2328)寛文8年、長崎の元奉行 黒川与兵衛の寄進による建立
鐘は戦時中供出され、戦後に再鋳された
鐘は、朝4時半、夜21時に鳴らされる
<鼓楼(重要文化財)>
重層入母屋造、本瓦葺、二階四周に縁と逆蓮柱付の匂欄を廻らし、大棟(屋根)両端に鯱がある
鐘楼と相対し、同じ大きさとなっている
階上に梵鐘がある
1679年(皇紀2339)延宝7年の建立
鐘は、朝4時半開静、夜21時の開枕に、大鐘と太鼓により知らせられる
賓客が来山されたときにも、鐘鼓交鳴して歓迎を表わす
<合山鐘(がっさんしょう)>
回廊の中におかれている
1696年(皇紀2356)元禄9年、6代 千呆により再鋳された
開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされる
<禅堂(選佛場)(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺、桁行5間、梁間6間
座禅が行われるところで、両側に畳敷きの単がある
境内の三黙道場(斎堂、浴場、禅堂)の一つ
1663年(皇紀2323)寛文3年に、前大老 酒井忠勝の寄進により建立される
范道生の作の白衣観音菩薩坐像、右に善財童子立像、八蔵龍女立像が祀られている
白衣観音の胎内には、隠元隆きの母からの手紙が貼り付けてあるといわれる
聯は木庵の筆、内部の聯は隠元隆きと6代 千呆の筆
「選佛場」は隠元隆きの筆
<祠堂(重要文化財)>
<大庫裏(重要文化財)>
<石碑亭(重要文化財)>
1709年(皇紀2369)宝永6年の建立
亀趺の上に、1673年(皇紀2333)延宝元年に後水尾天皇から隠元隆きに贈られた「特賜大光普照國師塔銘」の刻文がある
<寿塔(寿蔵・真空塔)(重要文化財)>
1663年(皇紀2323)寛文3年に、隠元隆きの生前に築造された隠元隆きの墳墓
本瓦葺六角堂、屋根は宝形造、屋根に露盤・宝珠がある
半円形石垣が寿蔵を囲んだ中国式墳墓
円窓の戸板題「寿蔵」は隠元隆きの筆
額「眞空塔」は霊元天皇の筆
<舎利殿(重要文化財)>
境内の北の高台に建てられている
一重宝形造、本瓦葺
1667年(皇紀2327)寛文7年
隠元隆きにより帰依した後水尾法皇が、黄金の佛舎利多宝塔を奉安するために自ら寄進して建立された
1709年(皇紀2369)宝永6年に、法皇の木像が祀られている
9月19日に法皇忌が行われている
<慈光堂(納骨堂)(重要文化財)>
1675年(皇紀2335)延宝3年の建立
<聯燈堂>
1789年(皇紀2449)寛政元年の建立、1973年(皇紀2633)昭和48年の再建
<売茶堂>
煎茶道を創始した茶聖 高遊外売茶翁を記念して建てられる
扉には魔除けの蝙蝠が象られている
1928年(皇紀2588)昭和3年の建立
毎月16日(1月・5月・8月を除く)には、全国煎茶道連盟による売茶忌が行われている
<文華殿>
宝物・資料の収蔵保管と展示が行われている
隠元隆きの遺品、中国伝来品、喜多元規、伊藤若沖、池大雅などの作品が所蔵されている
1972年(皇紀2632)昭和47年の建立
黄檗文化研究所が併設されている
<有聲軒(煎茶道会館)>
煎茶席、煎茶趣味の庭園がある
全日本煎茶連盟の本部が置かれている
1928年(皇紀2588)昭和3年の建立
<知客寮(黄龍閣別館)>
普茶料理が出される
<中和井(ちゅうわせい)>
中和園にある井戸
かつてこの地に後水尾天皇の母 中和院の大和田御殿があり、使われていた井戸
1972年(皇紀2632)昭和47年に整備された
<怨親平等塔>
日中戦争で犠牲になった両国の精霊を慰めるため、山田玉田和尚により宝篋印塔内に妙法蓮華経が納められている
<菊舎尼の句碑>
三門北にある
「山門を出れば日本ぞ茶摘み唄」
長門に生まれた江戸時代の俳人 田上菊舎が、夫と死別し、芭蕉を慕い諸国行脚の旅に出る
1790年(皇紀2450)寛政2年に萬福寺を訪れている
1922年(皇紀2582)大正11年に建立されるが、戦時供出となる
2006年(皇紀2666)平成18年に再建された
<茶具塚>
<筆塚>
<煎茶翁顕彰碑>
<参道>
総門から法堂にかけ続く参道
菱形に敷かれた平石、その両側を石條で挟んであり、「黄檗様敷石」と称される
「龍の伽藍」の龍の背の鱗を表すといわれる
菱形の平石の上に立てるのは住持のみに限られている
<放生池>
半月型の池
「龍の伽藍」の龍の口、あるいは心臓に当たる
隠元隆きは、放生の考えを強く持っていたといわれ、捕らえられた生き物を放して功徳を積む放生会が行われる
1664年(皇紀2324)寛文4年の完成
<開山大師手植菩提樹>
<黄檗樹(きはだ)>
ミカン科の樹
樹木の内側が黄色いことから名付けられた
山号「黄檗山」は、中国の萬福寺周辺に、黄檗樹が繁茂していたことから名付けられた
漢方薬、染料としても用いられた
<隠元藪>
総門近くに育成している
<龍目井(りゅうもくせい)>
境内西の総門の道を隔てたところにある2つの井戸
「龍の伽藍」の龍の目にあたる
1661年(皇紀2321)寛文元年、隠元隆きが掘らせたといわれる
隠元隆きが、「山に宗あり 水に源あり 龍に眼あり 古に輝き今に勝る」と話した
<駒蹄影園碑>
境内西、総門前の道を隔てたところにある
「栂山の尾上の茶の木分け植えて迹ぞ生ふべし駒の足跡」(明恵)
鎌倉時代初期
高山寺の明恵上人が通りかかり、宇治の里人が、茶の種の蒔き方が分からずに困っているところ
明恵上人は、馬を畑に乗り入れ、馬の蹄の跡に種を蒔くように教えたという
1926年(皇紀2586)昭和元年
宇治郡茶業組合により碑が建立された
<旧陸軍火薬庫土塁、トンネルの遺構>
境内南の大駐車場入り口にある
1875年(皇紀2535)明治8年以降
黄檗公園一帯は、旧陸軍の火薬庫が置かれていた
周囲には強固な土塁が構築され、出入口のトンネルが設けられていた
数少ない戦跡として保存されている
<陸軍省の石標>
大駐車場入り口にある
<黄檗山開山隠元禅師登岸之地の碑>
境内西の宇治川に架かる隠元橋東詰の亀趺の上に碑が立つ
この地は、要衝地として「岡屋の津」と称され、港が開かれていた
鎌倉時代
近衛兼経の別荘が営まれ、以後、近衛所領となり、「御殿の浜」と称された
1659年(皇紀2319)万治2年
隠元隆きは船で宇治川を遡り、新寺の候補地を探していた
この付近で、東方の山、妙高峰裾より、二羽の鶴が舞いたつのを見たという
隠元隆きは、縁起がいいということで、ここで降り立ち、寺の建立地と決めたといわれ、以後、「隠元浜」とも称される
萬福寺創建により、資材がここから荷揚げされた
近代には、蒸気船が発着し、物資が荷揚げされていた
1949年(皇紀2609)昭和24年
木橋が架けられ、「隠元橋」と称される
石碑は、隠元隆きの故郷福建省の石材が使われている
<萬寿院>
<天真庵>
客殿、経蔵、表門などは府指定文化財指定
<法林院>
<八幡宮祠堂(重要文化財)>
天王殿前にある
1675年(皇紀2335)延宝3年の建立
<布袋尊>
天王殿に安置されている弥勒菩薩坐像
像高110.3cm、木造、漆箔
1663年(皇紀2323)寛文3年
来日していた明の仏師 范道生の作
1668年(皇紀2328)寛文8年
かつて、松隠堂に安置されていたものが遷された
都七福神めぐりの布袋尊
<韋駄天像>
天王殿の弥勒菩薩坐像の背面(東)に安置されている
像高112.9cm
1704年(皇紀2364)宝永元年、清で造立された
<隠元木像>
開山堂に安置されている
1663年(皇紀2323)寛文3年の仏師 范道生の作
72歳の隠元像で、材は中国産の鉄梨木、頭髪、髭が植毛されている
毎月1日・15日に祝拝、3日に開山忌、4月3日に祥忌が行われる
<達磨大師坐像>
祖師堂に祀られている
范道生の作
像高166.5cm
<十八羅漢像>
大雄宝殿に祀られている
黄檗宗では、十六羅漢に慶友尊者、賓頭盧が加わり安置されている
1663年(皇紀2323)寛文3年から1664年(皇紀2324)寛文4年の范道生の作
奥州白河藩主 本多下野守忠平兄弟が母の菩提のために寄進したもの
<観音菩薩坐像>
禅堂安置の本尊の白衣観音
像高160.0cm、定印を結ぶ
江戸時代、范道生一派の作という
<釈迦如来坐像>
大雄宝殿に祀られている
像高250cm
1669年(皇紀2329)寛文9年、范道生の指導のもと、京大仏師 兵部の作
<黄檗の三筆>
開山 隠元隆きと弟子の木庵性とう(もくあんしょうとう)、即非如一(そくひにょいち)の筆
いずれも唐様書道の達人だったといわれる
<開ばん・魚板・魚ほう・魚鼓>
斎堂(食堂)の前に吊り下げられている、約2mの木製の魚
儀式の時を知らせるために礼棒で打たれる
善因・善果・悪因・悪果の因縁を表し、これを鳴らすことで、時間が二度と戻らないこと、一期一会を表すといわれる
口に咥える玉は、三毒の「貪・瞋・痴」を表し、この三毒を浄化して行事儀式を行う意味がある
「木魚」のもとになったといわれ、木魚は魚の頭と尾を結んで造り、霊魂不滅の象徴とされた
目を閉じない魚は、不眠不休の修行をすることを意味する
<雲版(うんばん)>
斎堂(食堂)の前に吊り下げられている青銅製
朝と昼の食事と朝課の時に打たれる
1661年(皇紀2321)寛文元年頃に設置されたもの
<生飯台(さばだい)>
斎堂(食堂)にある
鬼界の衆生に施す飯が載せられる
<巡照板(木板、巡廊板)>
斎堂(食堂)や、境内5ヶ所にある
起床・就寝を告げるため、朝の4時半と夜21時に、雲水(修行僧)が木槌で打ち鳴らして各寮舎を回る
叩くときには唐音で経が読みあげられる
「謹白大衆 生死事大 無常迅速 各宜覚醒 慎勿放逸」と記されている
「謹んで修行者に申す、生死は事大にして、無常は迅速なり、それぞれ覚醒して無駄に時を過ごさぬように」という意味がある
<紙本著色 隠元隆き和像(重要文化財)>
1671年(皇紀2331)寛文11年、喜多元規の筆
黄檗様の典型的な肖像画
隠元隆きによる自題あり
<華光菩薩像>
伽藍堂の本尊
1663年(皇紀2323)寛文3年の范道生の作
像高163.5cm
<五百羅漢図8幅(重要文化財)>
1770年(皇紀2430)明和7年頃、東方丈に描かれていた
池大雅の筆
指や指の腹、爪、掌などを使う指墨法により多くの羅漢が描かれている
<紙本淡彩西湖図4幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<西湖図4幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<虎渓三笑図8幅(重要文化財)>
池大雅の筆
<瀑布図4枚(重要文化財)>
池大雅の筆
<波涛図1面(重要文化財)>
池大雅の筆
<絖本淡彩 観音図 1帖(18図)(重要文化財)>
1636年(皇紀2296)寛永13年、陳賢の筆
崇禎九年の款記、隠元隆きの題字と賛がある
<新年年頭法要> 1月1日〜3日
<百丈忌> 1月17日
<涅槃会> 2月15日
<開山祥忌> 4月3日
<仏降誕会> 4月8日
<厳有忌(徳川家綱祥当忌)> 5月8日
<全国煎茶道大会> 5月19〜20日
<蛍放生会>
6月中旬
打楽器に合わせ中国風の読経「梵唄(ぼんばい)」が唱えられ、約1000匹のホタルが放生池に放たれる
2005年(皇紀2665)平成17年より行われる
当日は、夜間特別拝観も行われる
<中元法要(盂蘭盆会)> 7月13〜15日
<売茶忌> 7月16日
<後水尾法皇忌> 9月19日
<月見の夕べ>
9月下旬〜10月初旬
煎茶八流派の茶会が催される
<達磨忌> 10月5日
<留二地華僑普度勝会> 10月中旬
<慈愍忌(じみんき)(宗祖隠元生誕日)> 11月4日
<煤払い> 12月13日
<臘八接心> 12月1〜8日
<仏成道会> 12月8日
<普茶料理>
普茶料理(ふちゃりょうり)は、隠元隆きが日本にもたらした食作法(じきさほう)
普茶とは、禅の言葉では「普(あまねく)く大衆に茶を施す」の意味がある
黄檗宗独特の中国風の精進料理で、萬福寺や周囲の塔頭でおもてなしされる
開山 隠元隆きは、インゲンマメや、孟宗竹、スイカ、レンコンなども中国からもたらしたといわる
<全日本煎茶道連盟本部>
煎茶文化の拠点になっている
<龍の伽藍>
黄檗山全体を龍の体にたとえられ、伽藍全体の配置で龍が表されている
放生池が龍の心臓部分
龍目井(りゅうもくせい)が龍の目、周りの小川が口、松がひげを表している
総門から法堂まで続く参道は、菱形に置かれた平石で、龍の背の鱗を表している
大雄宝殿、法堂、開山堂の天井は、垂木が弧を描き龍の腹のように見える黄檗宗独特の「蛇腹天井」になっている
<都七福神まいり>
室町時代、民間信仰として七福神信仰が始まったとされる
萬福寺の布袋尊も都七福神の一つとされている
福がもたらされるという正月の参詣と毎月7日が縁日になっている
<蓮の花>
130種、約150鉢あり、6〜7月に開花する
吉兆を呼ぶという一つの茎に二つの花をつける「双頭の蓮」もある