末法思想(まっぽうしそう)は、年代がたつにつれて正しい仏法が衰滅するとされる仏教の予言に基づく思想
釈迦入滅から正法・像法・末法・法滅の4つの時代に分けられ、
末法は、釈迦入滅後2,000年後からは
釈迦の教えからの「正しい行い」「行いによる悟り」がなくなり末法の時代になるとされる
平安時代末期は、貴族の摂関政治が衰え、武士を頼って院政へ移っていく時期
治安が乱れ、仏教界も僧兵・強訴が多くなり退廃していった時期
死後や来世での救済を求める浄土教が広まっていく
<正法(しょうぼう)>
釈迦の入滅後から1,000年間
釈迦の教え(教説)・正しい行い(実践)・行いによる悟り(結果)の3つがそろっている状態
釈迦が説いた正しい教えが世で行われ、修行して悟る人がいる時代
<像法(ぞうぼう)>
正法の後の1,000年間(釈迦の入滅から1,000年後から2,000年の間)
釈迦の教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで、悟る人がいない時代
<末法(まっぽう)>
像法の後の1万年間(釈迦の入滅から2,000年後から1万年の間)
釈迦の教えによる正しい行い・悟りがなくなる状態
人も世も最悪となり、正法がまったく行われなくなる時代
<法滅(ほうめつ)>
像法の後(釈迦の入滅から1万年後から)
釈迦の教えも説かれることがなくなる暗黒の時代
<浄土信仰>
来世に極楽浄土への往生を願う信仰
平安時代中期に末法の世が訪れたとされる末法思想により一気に普及した
阿弥陀如来による救いを信じて念仏を口に唱えることによって極楽浄土への往生を願うことが教えとなる
「極楽浄土」とは、西方にあり、阿弥陀如来がいつも説法をしているといわれる浄土
<浄土庭園>
阿弥陀堂と園池とを一体的に築造して、楽浄土をこの世に再現する庭園様式
阿弥陀堂が東向きに建てられ、東面に中島を持つ園池が造られた
<周書異記>
中国 周(紀元前1046年頃から紀元前256年)時代の歴史が著されている
釈迦の誕生が紀元前1070年、入滅が紀元前949年と記されている
「1052年(皇紀1712)永承7年から末法の時代になる」との根拠とされる
<末法燈明記(まっぽうとうみょうき)>
801年(皇紀1461)延暦20年
日本天台宗の祖 最澄の著とされる
「周書異記」により釈迦の入滅が紀元前949年として、正五・像千・末万説(正法500年、像法千年、末法1万年)が記されている
「正像やや過ぎ終って、末法甚だ近きにあり、法華一乗の機、今正しく是れその時なり、何を以て知る事を得ん、
安楽行品にいわく末法法滅の時なり」と末法が近づいている旨が書かれている
<往生要集(おうじょうようしゅう)>
985年(皇紀1645)寛和元年
延暦寺の高僧 源信が、念仏に専念する修行中に記される
極楽往生に関する重要な文言を集め、念仏の要旨と功徳(くどく)(ご利益)を示した、極楽へ往生するための実践書
往生要集による教えが浄土教の思想的基礎となり、のちに浄土宗の「専修念仏」(せんしゅうねんぶつ)の由来となる
地獄と極楽の様子なども記せられていて、どうすれば極楽に行けるかを説いている
「念仏を唱えて阿弥陀如来像の姿を心のなかに思い浮かべることが、極楽往生への道」と説き
昼夜関係なく「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱える専修念仏が、貴族の私邸で行われるようになり民衆へと広がっていった
<扶桑略記(ふそうりゃくき)>
1094年(皇紀1754)嘉保元年以降の完成
阿闍梨 皇円(あじゃり こうえん)の著
神武天皇から堀河天皇までの歴史書
正千・像千・末万説(正法千年、像法千年、末法1万年)が記されている
<往生拾因(おうじょうじゅういん)>
1103年(皇紀1763)康和5年
東大寺三論宗 永観(ようかん)の撰
一心に称名念仏すれば必ず往生を得ることを10項目にわたって述べている
「念仏は行住坐臥を妨げず、極楽は道俗貴賤を選ばず、衆生の罪もひとしく救済される」と説いている
<選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)>
1198年(皇紀1858)建久9年
関白 九条兼実の要請によって、法然上人が撰述した2巻16章
「極楽往生を遂げるためには、南無阿弥陀仏とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを説いている
<教行信証>
浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の浄土真宗の立教開宗の根本聖典
「他力本願(阿弥陀如来の慈悲のちからを)を信じて正しい行いをすることを説いている
「正像末の三時には、阿弥陀如来の本願が広まっている」
「像法のときの智人も、時機相応の法なれば念仏にたよっている」と説かれ、
念仏は、正法・像法・末法の時代を超えて受け継がれてきたと説いている
末法思想が広まり、浄土信仰が盛んになり、
阿弥陀如来や、浄土庭園が造られる
<平等院庭園(世界遺産(古都京都の文化財)、国の史跡、名勝)>
平安時代後期の末法思想に基づく代表的な浄土庭園
浄土宗の曼荼羅、極楽浄土をこの世に現そうと造られた
藤原頼通が、末法思想の元年にあたり、別荘「宇治殿」を寺院にして、鳳凰堂を建立し浄土庭園を作り上げた
<浄瑠璃寺浄土庭園(国の史跡、国の特別名勝)>
三方を山に囲まれた境内の中心ある大きな宝池(ほうち)(阿字池)を中心とした池泉回遊式浄土庭園
池の西岸に阿弥陀如来を祀る本堂と、池の東岸に薬師如来を祀る三重塔が残り、平安王朝寺院の雰囲気を伝える貴重なもの>
<法成寺>
末法思想から藤原道長が、死への不安が高まり極楽往生を祈る場として大規模に作られた
自邸の中に、大きな池が造られ、中島が築かれ、種々の樹木や花が植えられ、現世極楽浄土の庭園が造られる
浄土庭園の初期段階で、周辺環境の影響に左右されない庭園空間が造られ、仏堂群が囲んでいる
<法界寺>
仏の教えが廃れるといわれる末法の前年で、阿弥陀信仰や末法思想が高まり、右大臣 藤原宗忠により阿弥陀堂(国宝)も建てられる
天台宗であったが、浄土教や末法思想などの影響で建てられた典型的な阿弥陀堂建築の一つ
<笠置寺>
1052年(皇紀1712)永承7年以降
末法思想元年とされ、末法思想が広がり、笠置寺の磨崖仏が天人が彫刻した仏として信仰された
<鞍馬寺>
霊宝殿には、平安時代中期以降の末法思想から生み出された経塚遺跡からの出土品(国宝)も展示されている
<法金剛院 池泉回遊式浄土庭園(国の特別名勝)>
1133年(皇紀1793)長承2年
待賢門院が、極楽浄土をあらわす庭園を造園させたもの
青女の滝(せいじょのたき)は、平安時代末期の浄土庭園の遺構で、現存する同時代の滝石組としては最大の規模を誇る
<法然院>
方丈庭園は、中央に阿弥陀三尊を象徴する三尊石が配置された浄土庭園
<弥勒菩薩>
平安時代
仏法の力が衰えて世界が混乱するという末法思想が流行したときに、弥勒信仰も大人気となった