明暗寺(めいあんじ)は、東福寺の北寄りに建つ塔頭の一つ
明暗尺八根本道場となっている
日本の普化宗の始祖 虚竹了円(寄竹了円)禅師により創建される
白緑色のアラハシラガゴケの小さな苔庭がある
普化宗は、禅宗の一派
中国 唐の普化を開祖とし、日本には臨済宗の僧 心地覚心が中国に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受ける
1254年(皇紀1914)建長6年
心地覚心が、張参の弟子 宝伏ら4人の居士と帰国し、紀伊由良の興国寺に普化庵を創建する
普化宗の僧「虚無僧(こむそう)」により諸国の行脚が行われる
虚無僧は、剃髪せず、あみ笠をかぶり、普化尺八を吹く半僧半俗的な禅僧
江戸時代中期以降、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、江戸幕府により規制される
1871年(皇紀2531)明治4年
明治政府により、幕府との関係が深い普化宗を廃止する太政官達が出され、
虚無僧は僧侶の資格を失い民籍となる
1888年(皇紀2548)明治21年
善慧院 明暗寺にて明暗協会が設立され、虚無僧行脚が復興する