聞名寺(もんみょうじ)(MonmyouJi)

所在地:京都市左京区東大路通仁王門上ル北門前町   卍地図情報卍

時宗遊行派の寺院

院号:小松院

本尊:阿弥陀如来

中興の祖:一遍上人

洛陽第十七番地蔵(明眼地蔵)

ご利益:眼病

新洞仏教会7番

 聞名寺(もんみょうじ)は、東山仁王門を上がったところにある寺院

 平安時代に時康親王(ときやすしんのう)(後の光孝天皇)が、眼の病を患わったときに夢告を受けて、
仏師慈覚大師に仏像を作らせ祀り、眼病が平癒したという明眼地蔵が祀られている

 寺院が立ち並ぶ新洞仏教会地区にあり、東端の東大路通の東側には二条通から仁王門通まで、妙傳寺・聞名寺・本妙寺と並ぶ

【聞名寺の歴史・経緯】


【聞名寺の伽藍】

 <本堂>

 <地蔵堂>
 境内に入ってすぐ右に建つ

 <阿弥陀石仏>
 本堂裏の墓地の入口付近に多くの無縁仏が並べられていて、その中央に阿弥陀石仏が祀られている
 鎌倉時代後期のもの
 像高156cmの花崗岩製
 蓮華座の上に坐す定印の阿弥陀如来を厚肉彫りしたもので、二重輪光背を背負う
 光背には、十一個の月輪があり、阿弥陀の種字「キーリク」を陽刻する
 石像寺の阿弥陀石仏と同じ様式で、模造されたものといわれる
 首が折れ、差し込むように頭部がはめこまれている

 <七重石塔>
 本堂前に立つ
 高さ約3.5m
 光孝天皇が祀られており、「光孝天皇塔」と称される
 軸部は室町時代のもの

 <墓地>
 江戸時代後期から明治時代にかけて歌壇の主流となる桂園派
主宰者 香川景樹(かがわかげき)ら香川一族の墓碑が並ぶ


【聞名寺の寺宝】

 <明眼地蔵(あけめじぞう)>
 地蔵堂の本尊
 洛陽第十七番地蔵尊
 光孝天皇の眼病平癒の故事がある
 明眼地蔵尊保存会によって保存・保護されている

【聞名寺の祭事】

 <地蔵盆
 8月
 明眼地蔵のお祭が行われる

 <一つ火法要>
 2009年(皇紀2669)平成21年12月6日
 13年ぶりに念仏法要が復興される


【その他】

 <明眼地蔵の故事
 平安時代
 時康親王(ときやすしんのう)(後の光孝天皇)が、眼の病を患い、医者も治療を諦めていたところ、
加茂の明神に眼病平癒の祈願を行うと、17日目の夜、夢の中に老翁が現れ、
「眼病を治したければ、地蔵菩薩を彫って守護仏としなさい」と告げられた
 仏師 慈覚大師に仏像を作らせ祀ったところ、時康親王の眼の病はすっかり良くなり、
第58代天皇にご即位することができたといわれる
 このことにより、眼病平癒のご利益があるといわれ「明眼地蔵」と称されるようになる

 <香川景樹(かがわかげき)>
 因幡国鳥取藩士の出身
 1793年(皇紀2453)寛政5年
 上洛し、歌人の小澤蘆庵や香川景柄(かがわかげとも)に和歌を学び、
歌壇二条派の宗家 香川家梅月堂(ばいげつどう)の養子となるが、後に離縁されて独立する
 明治時代まで歌壇の主流となる桂園派を創始する
 1803年(皇紀2463)享和3年
 岡崎に移住し、自邸を「東塢亭(とううてい)」「桂園(かつらのその)」と称し、桂園派の拠点とした
 1843年(皇紀2503)天保14年3月27日
 木屋町通で亡くなり、聞名寺に埋葬された
 1907年(皇紀2567)明治40年
 正五位を追贈される

【聞名寺へのアクセス】

 市バス 東山仁王門 あるいは 東山二条 徒歩数分
 地下鉄 東西線 東山駅 北東へ300m徒歩約10分

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