妙光寺(みょうこうじ)は、右京区宇多野の村上山の中腹にある寺院
周山街道の起点の福王子神社の横から村上山へ登っていき、妙光寺横から村上天皇 村上陵への参道になっている
<本堂(方丈)(京都市指定有形文化財)>
豪商・糸屋 打它公軌が再建した江戸時代初期の様式が残っている
玄関が、西と貴人用に東の2つある
六間がある
上間一ノ間は「神器の間」と称され、三畳の上段があり、一時期、三種の神器が奉安されていた
須弥檀の厨子は、象牙、金箔により装飾されている
室中に本尊 阿弥陀如来、法燈円明国師像が安置されている
2011年(皇紀2671)平成23年
下間の間に、画家 井上文太(「北斗の拳」の作者)により、障壁画「干潮図」が描かれる
<開山堂>
法燈円明国師 開山像が、中近世欧州調の椅子の上に座っている
<方丈庭園>
東西の長形、白砂に砂紋が引かれている枯山水庭園
奥に苔地があり、東に立石、西に平石の2石のみが置かれている
低い築地と背後の楓が借景になっている
2004年(皇紀2664)平成16年
建仁寺の修行僧達が中心となって作庭された
<楓>
境内に、約200本が植樹されている
<鎮守堂>
南北朝時代に、三光国師により勧請された
文久年間(1861年~1864年)に、天章和尚により建立される
<甘露水(かんろすい)>
境内の東南隅に湧水している
かつて、三種の神器が奉安されていたとき、この井水が供されていたといわれる
<墓地>
建仁寺の天章慈英のお墓がある
陶芸家 野々村仁清といわれる墓碑(約40cm)がある
「吟松庵元竜恵雲居士」「天和二年」と刻まれている
盗難を恐れた住持により隠されていた
1966年(皇紀2626)昭和41年に発見される
歌人で豪商・糸屋 打它公軌(うちだきんのり)や打它一族の石造宝塔形墓6基が村上天皇陵参道の近くの林中にある
<印金堂(いんきんどう)(開山堂)>
昭和時代に老朽により倒壊する
中国渡来の印金裂(いんきんぎれ)が四壁に貼られていた
印金裂は、布面に糊置き金箔を貼り、糊から出た部分を掃き文様が表された
与謝蕪村が訪れたとき、「春月や印金堂の木の間より」と詠んだ
<黄地花入菱花鳥文唐綾九条袈裟(重要文化財)>
無本覚心が、師 杭州 護国仁王寺の無門慧開から相伝したといわれる九条袈裟
左縁に「永仁二年十二月十日」、紐座に「仏法僧呆宝」、環座に「入宋覚心」の墨書がある
筆跡から無本本人の筆といわれる
縦137.0cm、横345.0cm
京都国立博物館に寄託されている
<建仁寺「風神雷神図屏風」(国宝)>
豪商 打陀公軌が、妙光寺を再興するときに俵屋宗達に依頼して製作された
その後、建仁寺に移されたといわれる