妙心寺(みょうしんじ)は、花園近くにある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院
日本にある約6000ヶ寺の臨済宗寺院のうち、約3400ヶ寺が妙心寺派の寺院
徹底した組織運営を行い、臨済宗きっての巨大教団を形成したことから「妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と称される
近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には、46の塔頭が東、北、西を取り囲むように
建ち並び、一大寺院群が形成されている
修行を重んじる厳しい禅風を特色とし、大徳寺とともに寺格 林下(りんか)の代表寺院
秋は紅葉の名所
妙心寺の境内全域が、国の史跡に指定されている
庭園は、国の史跡、国の名勝に指定されている
<三門(さんもん)(重要文化財)>
境内で唯一の朱塗りの建物
正面の柱間の5間のうち中央の3間が通路になっている「五間三戸」の二重門(2階建の門)
階下の左右に山廊を付した唐様建築
上層には、須弥壇があり、円通大士観音と脇侍に善財童子・月蓋長者、十六羅漢像などが安置される
天井の彩色絵は、狩野権左衛門の筆
須弥壇上には来迎図、須弥壇前には、飛龍図、左右両側に天女、一番外側に楽器などが色鮮やかに描かれている
楽器は勝手に鳴り出さないように、くみひもで結ばれた絵になっている
上層正面は桟唐戸になっている
6月18日に観音懺法会、7月15日に山門施餓鬼会が行われる
1599年(皇紀2259)慶長4年の建立
東福寺三門、大徳寺三門に次いで古いもの
<仏殿(重要文化財)>
1827年(皇紀2487)文政10年に再建
創建当時は、法堂も兼ねていた
入母屋造・本瓦葺で、一重裳階(もこし)付きの建物
廊下で北側の法堂と繋がっている
須弥壇には本尊の釈迦如来像が祀られている
脇侍(わきじ)は、迦葉と阿南
<法堂(はっとう)(重要文化財)>
1656年(皇紀2316)明暦2年
開山 関山慧玄国師300年遠諱を記念して建立される
それまで仏殿と法堂とが兼用されていたが分けられる
入母屋造で、一重裳階(もこし)付き、山内で最も大きな建物
法堂は、住持が法を説く場であり、普段は何も祀られていないが、
禅宗様式の須弥壇があり、法要のときには、その仏祖が祀られる
内部の鏡天井には「雲龍図(八方にらみの龍)」が描かれている
狩野探幽が55歳のとき、8年の歳月をかけて描かれたといわれる
直径12m、龍の目は円相の中心に描かれていおり、立つ位置・見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見える
<浴室(重要文化財)>
「明智風呂」と称される
一重切妻造、本瓦葺
浴室内中央に蒸し風呂形式の浴槽と洗場があり、簀子板敷(すのこいたじき)の隙間から蒸気を出す
正面に出入口と調節窓をもつ
浴槽の南側に休憩室が設けられている
入り口正面には位牌棚があり、その中央に、狩野宗信の筆の跋陀婆羅尊者(ばっだばらそんじゃ)が掲げられている
1587年(皇紀2247)天正15年
明智光秀の叔父で、塔頭の太嶺院(廃寺)の開基 密宗和尚(みつそうおしょう)が、明智光秀の菩提を弔うために創建される
1656年(皇紀2316)明暦2年に改築される
<勅使門(重要文化財)>
1610年(皇紀2270)慶長15年の建立
<大方丈(おおほうじょう)(重要文化財)>
承応3年(1654年)の建立
入母屋造・単層檜皮葺
本尊の阿弥陀三尊は、もと石清水八幡宮の奥の院に祀ってあったもの
障壁画の南側3室は狩野探幽、北側3室は狩野洞雲の作
<庫裏(くり)(重要文化財)>
1528年(皇紀2188)享禄元年の建立
1653年(皇紀2313)承応2年9月の改築
桁行き15.4m、梁行き18mの簡素で雄大な建築物
正面は切妻造りの妻面
平面は土間、大庫裏、小庫裏に分かれている
<鐘楼>
法堂の北西には、黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)(国宝)が吊られていた
仏殿の南西にも鐘楼がある
<開山堂(かいさんどう)(重要文化財)>
「微笑庵(びしょうあん)」と称され、山内で最も神聖なところ
正面奥の昭堂に、開山の無相大師 関山慧玄(かんざんえげん)の木造像が安置されている
1537年(皇紀2197)天文6年
東福寺より移築されたもの
室町時代初期の建造で、山内の現存最古の建造物
平唐門
開山堂前に南面して建つ
1409年(皇紀2069)応永16年
後小松天皇より御所の門を賜ったもの
手前の灯篭は、「妙心寺型」と称される珍しいもの
妙心寺の塔頭は48ヶ院ある(山内塔頭38ヶ院、境外塔頭10ヶ院)
山内塔頭
<雲祥院>
<海福院>
戦国武将 福島正則が、福島家の菩提寺として創建する
賤ケ岳七本槍の一番槍がある
<玉鳳院(重要文化財)>
関山慧玄像を祀る開山堂(別名「微笑庵」)(重要文化財)は、室町時代の建物
庭園は、国の史跡、国の名勝に指定されている
<金牛院>
<玉龍院>
<桂春院>
庭園は、国の史跡、国の名勝に指定されており、杉苔と躑躅(ツツジ)の植え込みが見どころ
<光国院>
<雑華院>
<慈雲院>
<寿聖院>
<如是院>
<春光院>
南蛮寺の鐘(重要文化財)と狩野永岳の方丈襖絵が所有される
<衡梅院>
<聖沢院>
摩利支天画像(重要文化財)を所蔵する
<大雄院>
<大心院>
<退蔵院>
日本の初期水墨画の代表作である如拙筆の国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)を所有する
枯山水庭園の「元信の庭」は、国の史跡・国の名勝に指定されている
余香苑という昭和に造られた庭もあり、装飾として獅子おどし、水琴窟が設けられている
<大通院>
<大法院>
信濃松代藩主 真田信之(さなだのぶゆき)の孫 長姫(千種有能(ちぐさありよし)の妻)が、
祖父の遺命により菩提所として創建する
<大龍院>
<智勝院>
<長慶院>
<長興院>
織田信長の家臣 滝川一益、津田秀政ゆかりの寺院
<通玄院>
<天球院>
1631年(皇紀2291)寛永8年、池田輝政の妹天球院が創建
狩野山楽・狩野山雪らが描いた方丈障壁画152面(重要文化財)
<天祥院>
<天授院>
<東海庵>
東海一連の庭
書院庭園が国の史跡、国の名勝に指定されている
方丈前庭は、築地塀で囲まれた一画に白砂を敷き詰め、帚目を付けただけの簡素な庭
書院南庭は、白砂に7個の石を並べた抽象的な庭
<東林院>
細川氏綱の創建
沙羅双樹の寺
<徳雲院>
<蟠桃院>
<福寿院>
<養源院>
<養徳院>
<龍泉庵>
妙心寺四派の一つ、龍泉派の本庵
長谷川等伯の「枯木猿猴図」がある
<隣華院>
方丈襖絵「水墨山水図」長谷川等伯の筆(重要文化財)
狩野永岳筆の襖絵を所有
<麟祥院>
徳川三代将軍 徳川家光が、乳母の春日局の追悼のため創立した
<霊雲院>
枯山水庭園は、国の史跡、国の名勝に指定されている
国際禅交流友好協会の事務局が霊雲院に置かれている
境外塔頭
<慧照院(右京区花園坤南町)>
<龍華院(右京区花園坤南町)>
<春浦院(右京区花園坤南町)>
<金台寺(北区等持院西町)>
<仙寿院(右京区竜安寺衣笠下町)>
<多福院(右京区竜安寺衣笠下町)>
<龍安寺(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
<霊光院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
<大珠院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
<西源院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
<黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)(国宝)>
「妙心寺鐘」と称される
元 浄金剛院(廃寺)にあったもの
音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うといわれる
徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし‥‥浄金剛院の鐘の声のまた黄鐘調なり」と詠われている
記念銘文のあるものとしては日本最古のもの
「戊戌(つちのえいぬ)(698年(皇紀1358)文武天皇2年)4月13日に前糟屋評造舂米連広国」の鋳造と記されている
九州地方で制作されたものといわれる
法堂の北西の鐘楼にかかっていたもので、現在は法堂に移動されている
<大燈国師墨蹟(国宝)>
大燈国師 宗峰妙超が弟子の関山慧玄に「関山」の号を書き与えたもの
<大燈国師墨蹟(国宝)>
大燈国師 宗峰妙超が関山慧玄に与えた「印可状」(自分の法を継いだというお墨付き)
三幅対「達麿・豊干(ぶかん)・布袋図」(重要文化財)は、達麿を中幅として、左幅に布袋尊、右幅に豊干が置かれる
布袋尊と豊干は、南宗末期の画家である李確が描いた唯一の現存作品
<文王呂尚(ぶんのうりょしょう)><商山四皓図(しょうざんしこうず)(重要文化財)>
狩野派の祖となった狩野山楽の作品
<大方丈障壁画(需要文化財)>
狩野探幽らの作
<仏殿般若> 1月16日
<涅槃会> 2月15日
<花まつり(釈尊降誕会)> 4月8日
<方丈懺法> 5月18日
<山門観音懺法会> 6月18日
<巡塔諷経> 7月14日
<山門施餓鬼会> 7月15日
<経蔵虫払い> 7月24日
<祠堂斎> 8月3日
<達磨忌> 10月5日
<観月茶会>
中秋の日、退蔵院
観月の茶会、食事と庭園拝観、邦楽の演奏が行われる
<法皇忌(半斎)> 11月11日
<開山忌献粥> 12月12日
<きぬかけの路>
衣笠山の麓に点在する5つの寺院(金閣寺、等持院、龍安寺、妙心寺、仁和寺)と京都府立堂本印象美術館、
立命館大学など、文化・教育施設を結ぶ歴史街道
<妙心寺派の三龍寺>
龍安寺・龍潭寺・龍興寺(南丹市八木町)