西大谷(にしおおたに)(Nishi Ootani)


正式名称:大谷本廟(おおたにほんびょう)

所在地:京都市東山区五条橋東6丁目   卍地図情報卍

浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)の大谷本廟

本尊:阿弥陀如来

 西大谷(にしおおたに)は、浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の墓所(廟所、祖廟)


【西大谷の歴史・経緯】




【西大谷の伽藍】

 <円通橋(えんつうきょう)>
 参道正面の皓月池(こうげついけ)にかかる石造のアーチ橋
 長さ約40m、幅約6m
 橋脚、敷石板、欄干など全て花崗岩の切り石が用いられている
 橋脚の2つのアーチが眼鏡のように見えることから「眼鏡橋(めがね橋)」とも称される
 1856年(皇紀2516)安政3年の竣工
 「花洛名勝図絵」には、「奇巧をつくした石橋」として紹介されている

 <総門(そうもん)>
 1710年(皇紀2370)宝永7年3月
 第十四代宗主 寂如のとき、親鸞聖人450回忌法要のために建立
 1796年(皇紀2456)寛政8年
 第十八代宗主 文如のとき、現在の四脚門に改築される
 1860年(皇紀2520)万延元年
 現在の扁額「大谷本廟」が、第二十代宗主 広如により書かれる

 <鐘楼>
 <仏殿(本堂)>
 <読経所>
 <二天門>
 <明著堂>
 <礼拝堂>

 <石窟(せっくつ)>
 「京童跡追(きょうわらべあとおい)」によると、親鸞聖人が学問をされた場所とされている
 「大谷本願寺通記」によると、親鸞聖人の最初の廟堂(現在の崇泰院付近)から移されたとされる
 石窟の石材には、江戸時代の石仏・五輪塔・板碑などが利用されている

 <無量寿堂>
 仏壇付納骨所、2万6千余基がある

 <大谷墓地>
 約1万2千余基のお墓

 <師弟愛の碑>
 1934年(皇紀2594)昭和9年
 室戸台風が上陸し、大阪府豊津尋常高等小学校(現在の吹田市豊津第一小学校)の木造二階建て校舎が
倒壊し51人が死亡
 京都女子高等専門学校(京都女子大学の前身)の卒業生 横山仁和子教諭が、学童3人を身体の下にかばい犠牲になった


【西大谷へのアクセス】

 京阪電車 五条 徒歩約15分
 市バス 五条坂 下車すぐ

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