老ノ坂峠子安地蔵(おいのさかこやすじぞう)は、国道9号沿い、亀岡市と京都市の境の老ノ坂トンネル西口付近の
小堂に祀られている
かつて山城国と丹波国を結んだ山陰街道(現在の国道9号)沿い、石垣上に小堂の地蔵堂が建てられている
安産守護の地蔵菩薩として信仰されてきている
創建は不詳
「一心二河白道」によると、
平安時代
山陰街道の現在の老ノ坂トンネル西口付近に、市森長者(いちもりちょうじゃ)と、その娘 桜姫が住んでいた
才色兼備だった桜姫が難産により亡くなってしまう
その後、延暦寺の恵心僧都 源信が、長者の家に泊まったとき、
亡くなった桜姫の霊が現れ、死後の世界で苦しんでいることを話して救済を願った
恵心僧都 源信が、仏法の力で救うと、桜姫の霊は、その報恩として「地蔵菩薩を造って祀れば、産婦の難産死を救う」と約束された
恵心僧都 源信は、桜姫の塚に生えていた柏の木で地蔵菩薩像を造り、この地に祀ったといわれる
その後、大福寺として、安産守護の地蔵菩薩として信仰を集めたといわれる
平安時代
大江山を拠点として平安京で暴れていた鬼たちを従えた酒呑童子が、源頼光と四天王に倒される
源頼光らは、その首を都に持ち帰ろうとするが、老ノ坂峠を越えようとしたときに、
子安地蔵尊に「そのような穢れた邪悪なものを、都に持ち込んではいけない」と咎められる
源頼光らは、酒呑童子の首を埋めて帰り、その首塚の場所は「首塚大明神」と称され祀られている
1933年(皇紀2593)昭和8年から1936年(皇紀2596)昭和11年
国道9号の老ノ坂トンネル工事のときに、大福寺が廃寺になる
子安地蔵尊だけが、現在の地に遷されて祀られた
<木造漆箔 老ノ坂峠子安地蔵>
蓮華座に結跏趺坐し、右手に錫状、左手を膝上にして宝珠を載せる地蔵菩薩
像高65cm
江戸時代の作といわれる