来迎院(らいごういん)は、三千院の東側、呂川(りょせん)沿いの小野山麓下にひっそりとたつ
日本音楽の源流といわれる声明の発祥地
魚山大原寺(ぎょざんだいげんじ)の上院とされる(下院は勝林院)
来迎院の山号「魚山(ぎょざん)」は、中国の声明の聖地 魚山の名前に因む
4月中旬は、山吹の名所
本堂から東の高台に、鎮守堂、獅子飛石、地蔵堂が建つ
北へ細い道を進むと律川が流れ、律川を渡ったところに聖応大師 良忍上人の三重石塔が建つ
<本堂>
1533年(皇紀2193)天文2年の再建
<鎮守堂>
<地蔵堂>
<獅子飛石>
獅子が、良忍上人の唱える声明に陶酔し堂内を駆けめぐって岩になったといわれる
<鐘楼>
1435年(皇紀2095)永享7年
梵鐘には「永享7年藤原国次作」の刻銘がある
<三重石塔(重要文化財)>
聖応大師 良忍上人のお墓とされる
花崗岩の高さ2.8mの塔
屋根の反りの少ないなど、鎌倉時代初期の様式
<山門>
<無礙燈>
<聖応大師八百歳賛碑>
<音無の滝>
来迎院から山道を200mほど登った所
<本尊(重要文化財)>
木造 薬師如来坐像、木造 阿弥陀如来坐像、木造 釈迦如来坐像の三尊仏
本堂に安置されている
平安時代の木像漆箔寄木造
やわらかい曲線と円満な表情が特徴とされる
脇侍は、不動明王立像、多聞天立像
背後には、慈恵大師像、聖応大師像が安置されている
<伝教大師度縁案並僧綱牒(でんぎょうだいしどえんあん ならびに そうごうちょう)(国宝 )>
伝教大師 最澄の得度や受戒に関わる文書類3点を一巻としたもの
平安時代のもの
東京国立博物館に寄託されている
<日本霊異記 中下の2帖(国宝 )>
平安時代後期の日本霊異記の古写本
日本霊異記の中・下巻の現存最古本
京都国立博物館に寄託されている
<来迎院如来蔵聖教文書類(重要文化財)>
来迎院の如来蔵(経蔵)に保存されてきた聖教(しょうぎょう)・文書(もんじょ)など一式
良忍自筆本も含まれる
<修正会>
1月2日
「三十三度法要」とも称され、無病息災が祈願される法要
ササラと棒を持ち「修正会」と声を上げ、飛んだり跳ねたりする
来迎院は、日本音楽の源流といわれる声明の発祥地
声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
「梵唱(ぼんばい)(梵語の仏教歌謡)」とも称される
インドが起源で仏教の発生とともに始められる
現在は、天台声明と真言声明が主流となっている
声明は、日本の天台宗を開宗した伝教大師 最澄の直弟子 慈覚大師 円仁(えんにん)が、
中国 唐の五台山(山西省)の支峰の一つ魚山(ぎょざん)から伝えられ、天台声明の修練道場として来迎院を創建した
後に融通念仏を開いた聖応大師 良忍上人が、来迎院を再興し、各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)に集大成される
魚山流が、天台声明の主流となり、湛智・宗快・喜淵などの声明評論家を輩出する
魚山流の声明は、「泣き節」とも称され悲壮感がでる
日本の浄瑠璃、謡曲、民謡などに強く影響を与えたといわれる
<呂川・律川>
三千院の南側を、呂川(りょせん)が流れ、北側に、律川(りつせん)が流れる
この2本の川の名前が合わさり「呂律(りょうりつ)」と称される
声明がうまく唄えなくなったとき「呂律が回らなくなった」といわれる