嶺樹院(れいじゅいん)は、亀岡市市街地南部の城下町の西竪町にある寺院
亀山藩藩主 菅沼定芳の母親 嶺樹院殿が、先祖の菩提を弔うために、亀山城の御土居の内側に開創されたといわれる
嶺樹院の東隣には、藩主 菅沼定芳の父親の菅沼定盈の菩提寺である宗堅寺が並んでいる
嶺樹院の背後に、亀山城の御土居の一部が現在も残され、亀岡市の史跡に指定されている
江戸時代初期
1634年(皇紀2294)寛永11年
菅沼定芳が、近江膳所藩主から亀山藩藩主として移る
藩主 菅沼定芳の母親 嶺樹院殿が、先祖の菩提を弔うために、亀山城の御土居の内側に開創される
寺名は、母親の戒名である嶺樹院殿恵光惣智大姉(れいじゅいんでんえこうそうちだいし)から、嶺樹院と名付けられる
1643年(皇紀2303)寛永20年
菅沼定芳の嫡男 菅沼定昭が継ぐ
1647年(皇紀2307)正保4年
菅沼定昭が、若くして亡くなり、菅沼氏は改易される
<本堂>
<御土居(亀山城惣構跡)(亀岡市指定史跡)>
<達磨半身図>
中国の壁眉(へきび)あるいは顔輝(がんき)の筆といわれる
亀山藩藩主 菅沼定芳の宝物
毎年11月15日頃に、達磨半身図が掛けられ、達磨大師の恩徳に報いる達磨忌が行われる