霊鑑寺(れいかんじ)は、鹿ヶ谷の哲学の道沿いにある南禅寺派の尼門跡寺院
明治維新まで、5人の皇女が住職を勤めた
御所人形、貝あわせ、香炉など皇室ゆかりの寺宝が多く残っている
日光椿など多くの名椿の花の名所でもあり、紅葉の名所
<本堂>
徳川家斉の寄進
<書院>
1687年(皇紀2347)貞享4年
後西天皇皇女 普賢院宮宗栄が、父親の院御所御殿の休憩所を下賜されたもの
狩野永徳・狩野元信・円山応挙の絢爛豪華な襖絵が飾られている
<玄関>
1687年(皇紀2347)貞享4年
後西天皇皇女 普賢院宮宗栄が、父親の院御所御殿の休憩所を下賜されたもの
<庭園>
江戸時代初期の作
池泉回遊式庭園
上下の二段に分かれており、主庭は、下段の客殿南庭
杉苔が地面を覆い、立石を多く用いた大胆な石組の庭
東西に野面石垣(のづらいしがき)の斜面がある
石垣下には、枯池がある
南東隅には、滝石組がある
対岸の左に般若寺型石燈籠(はんにゃじがたいしとうろう)がある
後水尾上皇御遺愛の日光椿・散椿(ちりつばき)・白牡丹・舞鶴・衣笠・白玉など30数種の椿がある
<日光椿(じっこうつばき)(京都市指定天然記念物)>
ツバキ科のツバキ
雄しべが小さな花弁状になって円形にまとまる「カラ」咲きの園芸品種
庭園の南西隅にある
<紅梅(こうばい)>
バラ科の梅で、八重咲紅色
前庭の平地にある
<如意輪観音菩薩像>
本尊
<不動明王像>
本尊の傍に安置されている
伝教大師 最澄の高弟 智証大師 円珍の作といわれる
<皇室ゆかりの寺宝>
後奈良天皇・正親町天皇・後水尾天皇・後西天皇の宸翰(しんかん)
親王・女王の真筆
東福門院の十二単衣
歴代門跡の遺品真蹟など
皇室との由緒を伝える寺宝が多く残る
<京人形>
歴代の尼宮門跡が愛した300点以上の御所人形などが保存されている
<束帯雛(そくたいびな)>
男雛は、束帯姿、女雛は、濃紫袴に袿姿(うちきすがた)
品のある享保雛の面立ちをしている
濃紫袴は、若年層が着る長袴であり、化粧もそれに合わせて、置眉ではなく本眉にされているなど、細部も公証されている有職雛
男雛・女雛ともに60〜70cmもある大型の雛
ともに三折形式になっており、四季に合わせて装束の着せ替えができる珍しいもの
江戸時代後期のもの
霊鑑寺 第四代門跡(光格天皇の妹)に、徳川家から贈られたもの
<着座這い這い人形 2体>
天児(あまがつ)・這子(はいこ)の代わりに、子供の成長を祈願する人形
白い産着で這う姿
這い這いは、長旅をするときには駕籠に一緒に乗せて、道中の禍除けとされた
<水引手亀乗り>
亀にまたがった御所人形
亀は長寿を表し、子供の成長を祈願されたもの
<水引手鯛持ち・水引手頭巾かぶり>
「つくね」と称される小さな御所人形
吉祥の意味を表す丸々とした童子姿
額(ひたい)に水引きが描かれ、「めでたい」に通じる鯛を持っている
頭は丸く、引目鉤鼻(ひきめかぎはな)の平安時代の理想美の顔つきをしている
<貝合せ>
蛤を、地貝と出貝に分け、左右一対の和歌や絵を描いた貝殻360枚
<花鳥絵歌留多>
御紋入りの帙(ちつ)に納められたカルタ
花は、円山応瑞、鳥は、長沢蘆洲の筆
<此奥俊寛山荘地>
霊鑑寺の南に石碑が立つ
1177年(皇紀1837)治承元年6月
後白河上皇の側近だった法勝寺執行 俊寛が、自らの山荘で平氏打倒の密議を行い、その首謀として
薩摩国鬼界島(現在の鹿児島県硫黄島)に流された