霊雲院(れいうんいん)(ReiunIn) 京都通メンバ
所在地:京都市右京区花園妙心寺町   卍地図情報卍

臨済宗大本山 妙心寺塔頭
霊雲派の本庵

創建:1526年(皇紀2186)大永6年

開基:妙心寺25世 円満本光国師 大休宗休(だいきゅうそうきゅう)

勧請開祖:妙心寺10世 大寂常照禅師 特芳禅傑(とくほうぜんけつ)

別称:元信寺(狩野元信

 霊雲院(れいうんいん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺塔頭

 妙心寺境内の西側の中程、大方丈の西、聖澤院・黄鐘調鐘楼の北隣にある

 妙心寺塔頭の中でも寺格が高く、妙心寺四派のうち霊雲派の本庵

【霊雲院の歴史・経緯】






【霊雲院の伽藍】

 <書院(重要文化財)>
 三間四面、一重、切妻造、柿葺
 手前から四畳半床附、五畳半棚附、その奥に三畳の間がある
 後奈良天皇が、たびたび行幸されたといわれ、天皇の御座所「御幸の間」がある
 大休宗休禅師退隠後、60年間ほど扉が閉じられていた
 銀閣寺東求堂内の同仁斎とともに、東山時代の小さい書院の代表的な遺構とされる
 狩野元信の障壁画がある
 中央に帳台構、左に1畳、隅に違棚、上の欄間により別室様になっている
 妙喜庵」は、この書院を写したともいわれる
 1532年(皇紀2192)天文元年頃の建立
 匠人 龍安により建立されたといわれる
 1988年(皇紀2648)昭和63年
 書院 奥の間御座所の三方壁に、日本画家 黒光茂樹により、新たに二羽の鶴・紅白梅・若松の障壁画が描かれる
 以前は、鳳凰・竹笹・桐が描かれていた


 <霊雲院庭園(国の史跡名勝)>
 書院の南の庭園
 縮小蓬莱枯山水庭園
 10坪ほどの狭い敷地に、枯滝と東に蓬来山水(鶴の石組)を兼ねた20個ほどの石組がある
 室町時代
 相国寺慈雲庵の子建西堂(しけんさいどう)の作庭といわれる


 <方丈>
 黄色で5本の白線が入った築地塀で囲まれている
 唐門がある
 「円満本光国師木像(大休宗休)」「特芳禅傑禅師木像」が安置されている
 1543年(皇紀2203)天文12年
 栂尾の閼伽井房(あかいぼう)(十無尽院)を移築したもの
 1693年(皇紀2353)元禄6年
 大休宗休禅師150年遠忌のときに、現在の方丈が再建される

 方丈南庭は、全面が苔で覆われ、東側に赤松、西側に樹齢300年といわれる五葉松が植えられている


 <墓地>
 哲学者 西田幾多郎のお墓がある

 <石碑「西田幾多郎先生墓」>
 門前に立つ





【霊雲院の寺宝】

 <紙本水墨淡彩「山水花鳥図」(重要文化財)>
 かつての書院の障壁画
 狩野元信が、晩年の68歳頃に大休宗休禅師に参禅したとき余暇に描いたといわれる
 真・行・草の画体で、花鳥・山水・人物が描き分けられている
 このため、霊雲院は「元信寺」とも称された
 現在は、掛幅装にされ49幅ある


 <後奈良天皇宸翰円満本光国師号勅書(重要文化財)>

 <後奈良天皇像>
 方丈に安置されている

 <円満本光国師木像(大休宗休)>
 方丈に安置されている

 <特芳禅傑禅師木像>
 方丈に安置されている

 <特芳禅傑筆「大休宗休への印状」>
 <特芳禅傑筆「大休号」>
 <特芳禅傑筆「偈頌(げじゅ)」>

【その他】

 <霊雲院国際禅交流友好協会(IZEFA:International Zen Exchange Friendship Association)>
 事務局が霊雲院に置かれている
 「世界の諸宗教との親睦と相互理解」を提唱している


 <四派四本庵(しはしほんあん)>
 妙心寺の3,500ほどの末寺が必ず属する4つの宗派
 室町時代塔頭龍泉庵東海庵聖澤院、霊雲院が創建される
 妙心寺第9世 雪江宗深の法嗣から、四派の景川宗隆(龍泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雲派)、東陽英朝(聖澤派)が出る
 これにより、四派四本庵による運営体制が確立し、この四派により、妙心寺一山の全権が掌握され、住持も決定された
 雪江宗深は、この4人を評価して「禅は景川、徳(福)は悟渓、寿(頌)は特芳、才は東陽」とした

 霊雲院は、特芳禅傑(とくほうぜんけつ)の霊雲派(れいうんは)の本庵とされる

【霊雲院へのアクセス】

 市バス・京都バス 妙心寺前 徒歩約3分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 花園駅 徒歩約5分
 嵐電 妙心寺 徒歩約3分

LINEで送る

[インデックス]


京都通メンバページ


フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク