蓮華寺(れんげじ)は、京都の北部を流れる高野川の上流で、大原街道沿いに建つ寺院
「若狭街道」「鯖街道」とも称される交易の主要な道路
加賀藩 前田家の家老 今枝民部近義が、祖父 今枝重直を供養するために再興した寺院
石楠花の名所
秋は、紅葉の名所
本堂・鐘楼堂・井戸屋形・庭園・山門は、創建当時のまま残る
<本堂>
再興に黄檗宗の隠元隆きや木庵禅師が関わったとされ黄檗宗の様式そのものの建物
石川丈山の筆による寺額が掲げられている
堂内中央の須弥壇には、螺鈿厨子に収められた本尊 釈迦如来像が安置されている
かつて、天井には、狩野探幽が描いたとされる龍の図があったが、明治時代に失われる
1978年(皇紀2638)昭和53年
仏師 西村公朝によって復元された
<蓮華寺型石燈籠>
本堂の参道の左の庭の2基の燈籠
六角形で急勾配の笠をもつ石燈籠
江戸時代に茶人に好まれ、茶席の庭によく使われたといわれる
(青蓮院霧島の庭の蓮華寺型石燈籠が著名)
基礎は六角で蓮弁が付いている
竿は丸竿で中央部が膨らんでいる
中台は蓮弁のある六角形で唐草文があしらわれている
火袋も六角で、前後に四角の穴がある
笠は急勾配の長めで九段の葺地を表し、頂上に宝珠がのっている
<庫裏>
石畳の参道の正面を行き当たったところにある
<書院>
庫裏と一体化しており、阿弥陀三尊が安置された小部屋を通り書院に入る
<鐘楼>
桧皮葺・宝形の屋根と格子状の側面をもつ禅風の様式の建物
黄檗二世木庵禅師の銘がある銅鐘がかかっている
<鶴亀の庭園>
書院の東側にある庭園
山の岩壁と部屋の間を、高野川を引き込んだ清水が流れ、池庭が広がる池泉回遊式庭園
石川丈山や、狩野探幽が協力して作庭したといわれる
池は、「水」の字の形に作られており、「水字形」と称される
池の右手前には、舳先を立てた入舟の形をしている舟石(ふないし)と称される石が置かれている
入舟は、浄土をこちら側にあるとする考え方で、珍しい庭園といわれる
池の左前方には亀島と鶴石があり、亀島には、石橋がかけられている
亀島は、大ぶりな岩石で組まれ、唐人帽丸形と称される石灯籠が置かれている
その側面に、寄り添うに立てられた立石によって鶴の姿が表されている鶴石がある
亀島の左後方に、蓬莱山の姿が岩組みによって築かれている
そこに木下順庵の撰文、石川丈山の篆額を表す刻銘がある今枝重直の一代記が刻まれた石碑が立っている
石碑の土台は、亀と麒麟の合体した姿をかたどる石組みとなっている
蓬莱山の右側奥手には、亀島にあるのと同型で半分ほどの大きさの丸型燈籠が置かれている
<今枝重直の碑>
石川丈山の篆額(てんがく)、木下順庵の撰文
<山門>
創建当時のもの
<石仏群>
山門を入ってすぐ左手に、約300体といわれる石仏群が並んでいる
京都市電河原町線の敷設工事のときに発掘されたもの
<土蔵>
参道右手にある
1872年(皇紀2532)明治5年の学制まで、男女共学の寺子屋として使われていたといわれる
<本尊 釈迦如来像>
本堂の中央の須弥壇には、螺鈿厨子に収められて安置されている
螺鈿厨子は、加賀藩が輸入したものといわれ、中国 明朝初期のもので繊細で美しい文様が残る
<阿弥陀如来像>
本尊の左側に安置されている
上品下生印
鎌倉時代の作
台座と光背は、江戸時代に作られたもの
<不動明王>
本尊の右側の螺鈿厨子に安置されている秘仏
<紙本著色 山王霊験記二巻(重要文化財)>
室町時代の作といわれる
現在は和泉市久保惣記念美術館所蔵
<東塩小路蓮華寺文書>
<今枝重直像>
狩野探幽の筆
<庭園古絵図>
狩野探幽の筆
<御年始> 1月1日〜3日
<春季彼岸会> 3月23日
<盂蘭盆会> 8月13日〜16日
<施餓鬼> 8月24日
<秋季彼岸会> 9月22日
<十夜・天台大師会> 11月24日