蓮光寺(れんこうじ)(RenkouJi)
所在地:
京都市下京区富小路通六条上ル本塩竃町
地図情報
浄土宗知恩院派の寺院
山号:負別山(ふべつざん)
本尊:
阿弥陀如来
開山:真盛上人(
天台宗真盛派(しんぜいは)の開祖)
京都四十八願寺 第三十五番
蓮光寺(れんこうじ)は、
平安時代、
源融が邸宅 六条河原院で塩焼をし、
貴族たちが詩歌や管弦を楽しんだ
河原院跡の地に立つ小さな寺院
【蓮光寺の歴史・経緯】
【蓮光寺の伽藍】
<本堂>
1896年(皇紀2556)明治29年の再建
<地蔵堂>
1896年(皇紀2556)明治29年の再建
<墓地>
大阪夏の陣に敗れた土佐の戦国武将の長曽我部盛親(ちょうそかべもりちか)の五輪供養塔がある
長曽我部盛親は、関が原の戦いに参戦の後、豊臣家の再起を期して、京都で「大岩祐夢」と名乗り、
寺小屋を営んでおり、蓮光寺の住職 上人と親交を持っていた
1615年(皇紀2275)元和元年
大阪夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されたとき、上人は
京都所司代 板倉勝重に頼み、遺体を蓮光寺に葬って供養した
長曽我部盛親遺品の太刀・鎧(片紬)・鐙なども、蓮光寺に保存されている
【蓮光寺の寺宝】
<
阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)>
本尊
「負別阿弥陀如来(おいわけあみだにょらい)」と称される
仏師 快慶 安阿弥の作で、名阿弥陀の一つといわれる
身丈二尺七寸
故事によると、東国の僧 覚明の依頼で作ったといわれ、
快慶が、上出来の
阿弥陀如来像と別れるのが辛く、
覚明を追いかけ、
山科のあたりで追いつき再拝しようとしたところ、紫雲がたなびき、
阿弥陀如来像が光を放ち、自ら二体に分身したといわれる
その一体を、
快慶が持ち帰り蓮光寺の本尊としたといわれる
もう一体は、仙台市泉区に現存し、「笈分如来(おいわけにょらい)」と称されて祀られている
山号の「負別山(ふべつざん)」は、この故事にちなんで付けられた
<駒止地蔵菩薩像(こまどめじぞうぼさつぞう)>
地蔵堂に安置されている
高さ8尺の石造の
地蔵菩薩
弘法大師の作で、名地蔵21体の一つといわれる
故事によると、もと六条河原の刑場に祀られていたが、鴨川の氾濫で埋もれてしまっていたのを、
1158年(皇紀1818)保元3年
平清盛が乗っていた馬が止まり急に動かなくなったため、そこを掘ってみると
地蔵菩薩が出てきたといわれる
盗賊に襲われた篤信者を護り、身代わりになって首を切られたといわれ、「首切り地蔵」とも称される
【蓮光寺へのアクセス】
地下鉄 五条駅 徒歩約5分
市バス 河原町正面 徒歩約3分