隣華院(りんかいん)(RinkaIn) 京都通メンバ
所在地:京都市右京区花園妙心寺町   卍地図情報卍

臨済宗大本山 妙心寺塔頭
東海派

創建:1599年(皇紀2259)慶長4年

開基:淡路国洲本藩主 脇坂安治(わきざかやすはる)

開祖:妙心寺58世 南化玄興(なんかげんこう)

中興の祖:隣華院10世 南海玄等

通称: 人形供養寺

 隣華院(りんかいん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺東海派の塔頭

 妙心寺の北総門のすぐ南の東側、天球院の東向かいにあり、智勝院が南隣にある

【隣華院の歴史・経緯】







【隣華院の伽藍】

 <大玄関>
 江戸時代の建立

 <客殿(方丈)>
 桁行22.4m、梁行19.3m、一重、入母屋造、桟瓦葺
 上段の間は、書院造で最高級の格式を備えた部屋で、帳台構になっている
 正面には、床の間・違い棚、右手には付書院、左手には帳台構(武者隠し)がある
 木像 脇坂安治坐像が祀られている
 文化年間(1804年〜1818年)
 脇坂安董、脇坂安宅父子によりに改築され、京都所司代屋敷として使われた

 <凡梵庭(ぼんぼんてい)>
 客殿南の庭
 ありのままの「平凡」と生命の根源の「梵」を表しているといわれる
 白砂の砂紋に、2つの苔による島がある

 <縁まわしの鐘>
 隣華院境内の西部、蟠桃院の北の広場にある
 鐘を鳴らして、近づけたい良縁、遠ざけたい悪縁、届けたい良縁などが祈願される
 ミャンマの寺院での儀式や、敬虔な仏教徒によって用いられてきた鐘
 住職がミャンマで出会い譲り受けたもの
 三角形の板状の形をしており、 木製のばちを用いて、三角形の左側または 右側の端を叩くと、良い音を奏でながらまわる
 叩き方により音色が変わり、長く響わたる


 <墓地>
 上杉景勝室・菊姫のお墓



【隣華院の寺宝】

 <木造漆箔彩色 豊臣棄丸坐像・玩具船(重要文化財)>
 寄木内刳、玉眼彩色、桃山時代の作
 豊臣秀吉の息子で3歳で死去した棄丸(鶴松)の木像
 幼児の肖像彫刻は、とても珍しく貴重なもの

 船は、棄丸が殿中を引いて遊んだといわれ、敷板に車輪が付いている
 船の首尾に屋形があり、船の周りには勾欄が付いている
 総長約2m、幅約67.7cm
 京都国立博物館に寄託されている

 豊臣棄丸坐像や、棄丸の遺品は、豊臣秀吉が妙心寺58世 南化玄興を開山にして創建した菩提寺である祥雲寺に祀られていた
 祥雲寺2世となっていた妙心寺105世 海山元珠が、徳川家康が起こした方広寺梵鐘銘事件のときに、
ただ一人「愚にもつかない誤り」と発言
 徳川家康は、祥雲寺を智積院に与えてしまう
 追い出された海山元珠は、豊臣棄丸坐像や遺品、南化玄興像を持ち出し、南化玄興が開祖の隣華院に移した
 また、玉鳳院には祥雲院殿霊屋が建立され、棄丸が埋葬された


 <絹本着色 南化玄興像>
 130.9 × 55.7cm
 1596年(皇紀2256)慶長元年の作
 南化玄興が開山した祥雲寺から、妙心寺105世 海山元珠により遷されたもの

 <木像 快川紹喜禅師像>
 開祖 南化玄興の作による礼拝像

 <木像 脇坂安治坐像>
 本堂に祀られている


 <紙本墨画 山水図 20面(重要文化財)>
 客殿の室中の二十面の襖絵
 金泥に墨一色で描かれた厳かで風格がある
 東西南北それぞれに春夏秋冬が四方四季で、楷体で樹木・岩、人物を金と墨で描かれている
 1599年(皇紀2259)慶長4年
 創建時の方丈に、61歳の長谷川等伯により描かれた


 <狩野永岳の障壁画>
 金地極彩色の鮮やかな障壁画
 禁裏御用絵師として活躍していた狩野永岳(かのうえいがく)の代表作
 岩絵具という色落ちがしにくい塗料が用いられている
 1825年(皇紀2485)文政8年の作
 客殿上間一の間の「四季花鳥図」25面
 客殿二の間の「松図」18面、「龍図」4面、「西園雅集図」、「竹虎図」
 客殿下間一の間に「紅葉図」15面

 「西園雅集図(せいえんがしゅうず)」は、北宋時代の中国を描いた襖絵8枚
 庭園で遊ぶ、中国の詩人たちの姿を彩り豊かな極彩色によって描き出されている

 <杉戸の虎の絵>
 客殿の廊下の杉戸に描かれている
 描かれた当時、日本にはが存在せず、ネコがの着ぐるみをかぶったような表情になっている

 <屏風「菊花流水図」>
 長谷川派の作

 <南化玄興筆「蘆山観瀑図」>  <長谷川主殿筆「架鷹図」>

 <双鶏養雛図>
 曾我直庵の筆
 南化玄興の賛がある




【その他】

 <南化玄興(なんかげんこう)>
 臨済宗の僧
 1538年(皇紀2198)天文7年に、美濃国に生まれる
 1570年(皇紀2230)元亀元年
 33歳で妙心寺58世となり、その後、妙心寺の住持を4度務めた
 1591年(皇紀2251)天正19年
 豊臣秀吉は、3歳で死去した愛児・鶴松(棄丸)の菩提のために、南化玄興を開山に招いて祥雲寺を建立

 妙心寺山内には、南化玄興を開山に、武将 一柳直末が大通院を、武将 稲葉貞通が智勝院を創建されている

 <脇坂安治(わきざかやすはる)>
 賤ヶ岳の七本槍の一人とされる武将
 1554年(皇紀2214)天文23年に近江国に生まれる
 1569年(皇紀2229)永禄12年
 丹波国 黒井城攻めにより、羽柴秀吉に謁見し食禄を与えられる
 1578年(皇紀2238)天正6年
 播磨国 三木城の戦で立てこもった別所長治を攻め、その功により、豊臣秀吉から輪違を描いた赤幌(母衣)を与えられ、
家紋「輪違」の由来となる
 1583年(皇紀2243)天正11年
 賤ケ岳の戦いでの七本槍の一人として戦功をあげる
 1600年(皇紀2260)慶長5年
 関ヶ原の戦では、西軍から東軍に寝返る
 1609年(皇紀2269)慶長14年
 伊予国大洲城主となる


 <人形供養>
 豊臣秀吉の息子で3歳で死去した棄丸(鶴松)の木像 豊臣棄丸坐像(重要文化財)を、開祖 妙心寺58世 南化玄興により供養されてきたことにちなみ、
 人形の供養が行われ続けている
 「人形供養寺」とも称されている

【隣華院へのアクセス】

 市バス 妙心寺・妙心寺北門 徒歩約5分
 京都バス 妙心寺・妙心寺北門 徒歩約5分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 花園駅 北へ徒歩約15分
 嵐電 北野線 妙心寺 南へ徒歩約10分

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