麟祥院(りんしょういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺東海派の塔頭
妙心寺境内のほぼ中央、西側の参道中程の東側、智勝院の南隣、大通院の北隣、春光院の東向いにある
徳川三代将軍 徳川家光が、乳母の春日局の追悼のため創立する
<方丈>
<御霊屋(おたまや)>
1620年(皇紀2280)元和6年頃に建立される
後水尾天皇により、仙洞御所の釣殿(女御御所東面泉水中御亭)が、春日局に下賜された
春日局の頃は、能舞台として使われた
1633年(皇紀2293)寛永10年
当院に移築される
春日局の死去後に、祠堂になる
以前は、木賊造に銅板葺だった、現在は瓦葺になっている
内陣に、小堀遠州作の春日局の木像が祀られている
室内貼付絵は、狩野貞信の筆
<庭園>
書院式枯山水式の苔庭
南に緩やかな築山があり、釈迦三尊石、切石の舟石、枯滝組、石橋が置かれている
淀城から移されたという「月に叢雲」の蹲踞、鯱鉾などが置かれている
楓が植栽されている
1910年(皇紀2570)明治43年の作庭
現在の地の東に枯山水庭園が作庭される
その後、現在の地に移され縮小された
<春日神社>
<石碑「春日局菩提寺」>
門前の立つ
<墓地>
春日局の夫だった稲葉家代々のお墓
柳生宗厳の息子 柳生利厳のお墓
河合源蔵のお墓
<以前にあった堂舎>
明治維新の廃仏毀釈の悪政により、寺域8600坪が1500坪に狭まった
寮舎 養老軒、1635年(皇紀2295)寛永12年の建立
塔頭 法照院(前の常春院)、1635年(皇紀2295)寛永12年の江外禹の建立
陽春院(後の法乗院)、1644年(皇紀2304)正保元年の説元座元の建立
寮舎 玄照軒、霊峰和尚の創建
<木像 春日局坐像>
御霊屋の内陣に安置されている
江戸時代前期の大名 小堀遠州の作
<木像 碧翁愚完像>
<方丈の水墨襖絵>
室中に「雲龍図」
対の雌雄の龍が描かれている
西の雄は上に立つ角に鱗が尖り、東の雌は下がった角に鱗は丸く、表情に豪快さと優しさを描き分けているとされる
上間に「瀟湘八景図」「山水図」
下間に「西湖図」など
いづれも海北友雪の筆
春日局は、本能寺の変の後、海北友松に庇護され、海北友松の死去後は、未亡人と子 海北友雪を厚遇した
春日局は、海北友雪を徳川家光に引き合わせ、世に出したといわれる
<「百椿屏風図」六双二曲>
方丈の上間にある
狩野元珍の筆
2種以上の椿が描かれている
春日局が、徳川家光から贈られたものといわれる
屏風の縁には、春日局の内掛といわれる古代裂が用いられる
<「山水人物図」>
御霊屋の貼付板に描かれている
狩野貞信の晩年の作
<「春日局の画」>
狩野探幽の筆
<「雲中寿老・雪中竹鳩・梅山鵲図」>
狩野山雪の筆
<稲葉政勝初陣の甲冑>
<春日局の戒剣 三振>
<春日局の長刀 一振>
<春日局の朱印状>