鹿王院(ろくおういん)は、足利義満が、延命祈願のため創建した宝幢禅寺の塔頭開山塔が由来
6月上旬から沙羅、10月の銀木犀の名所
山門から中門までに、天台烏薬(てんだいうやく)などの銘木や楓樹が植えられている
諸堂が回廊で結ばれている
<仏殿(開山堂)>
桁行5間、梁行4間、正面吹放裳階、寄棟造、桟瓦葺
本尊釈迦如来像、十大弟子像、普明国師像、足利義満像が祀られている
1676年(皇紀2336)延宝4年の建立
<山門>
四脚門、切妻造、本瓦葺
棟門式という、本柱が棟まで立ち上がる禅寺門形式
門の前後に控柱がある
足利義満が24歳のときの墨蹟による扁額「覚雄山」がかかっている
1380年(皇紀2040)天授6年/康暦2年
唯一の宝幢寺の創建時の建物
<枯山水庭園(京都市指定名勝)>
諸堂の間には、枯山水庭園が広がる
創建の頃、足利義教の命により、僧 任庵主により作庭された池泉式庭園があったといわれる
日本最初の平庭式の枯山水庭園といわれる
背後には嵐山を望む、借景庭園
舎利殿前に三尊石など一群の石組みが置かれ、前面には杉苔地が広がる
樹齢400年という木斛(もっこく)が植えられている
<舎利殿(駄都殿)>
方三間、四周裳階付、宝形造、桟瓦葺
内陣中央の須弥壇上の大厨子に、銅製鍍金の宝塔が安置されている
宝塔の中には、鎌倉三代将軍 源実朝により、中国 宋の都臨安(現杭州)の能仁寺から鎌倉に伝来した釈迦の歯である
仏牙舎利(ぶつげしゃり)が納められている
四方には、仏法護持の四天王像、十六羅漢像なども祀られている
毎年10月15日にのみ開扉される
1763年(皇紀2423)宝暦13年、現在の場所に移築再建される
<客殿>
1890年(皇紀2550)明治23年
第24世 峨山昌禎(がざんぜんじ)の再建
「鹿王院」の扁額は足利義満の筆といわれる
<唐門>
一間一戸薬医門、切妻造、本瓦葺
<庫裡>
切妻造、桟瓦葺
宿坊や拝観のための入口にあたり、玄関正面には韋駄天の像が安置されている
第24世 峨山昌禎による扁額「雨奇晴好(うきせいこう)」がかかる
寛文年間(1661年〜1673年)の虎岑和尚による再建
<茶室「芥室(かいしつ)」>
名前は、普明国師の別号に由来する
「芥は」、「とるに足らない」の意味で謙遜した言葉
茶室六帖は、床・違棚・書院がある書院造で、炉は、亭主が床を背にする大名手前になっている
軸に、「足利義満自筆書状」がかけられている
四帖半は、床・書院・内仏・袋棚がある数寄屋造
1936年(皇紀2596)昭和11年
俳優 大河内伝次郎が、普明国師五百五十年忌の前に、住持の隠寮として寄進したものを茶室として利用されている
<稲荷社>
鳥居の背面に「平成十四年五月吉日建之」とある
<三社大明神>
<土蔵>
宝形造、桟瓦葺
<釈迦如来像>
本尊
仏師 運慶の作
<十大弟子>
仏師 運慶の作
<絹本着色 夢窓国師像2幅(重要文化財)>
<紙本墨画 出山釈迦図1幅(重要文化財)>
<紙本墨画 蘭石図1幅(重要文化財)>
<紙本著色 釈迦三尊及三十祖像7幅(重要文化財)>
室町時代前期に東福寺の公用画僧として活躍した明兆の作
釈迦三尊像は、霊山会上での拈華微笑(ねんげみしょう)の因縁を描いたもの
三十祖像は、「行年七十五明兆」の款記があり、1426年(皇紀2086)応永33年、明兆が75歳のもの
各祖師の頭上には、春屋妙葩の嗣子 厳中周による各祖師の略伝賛文がある
30人の祖師は、禅宗の始祖 達磨から、夢窓疎石、春屋妙葩へと連なる法系図絵
<後醍醐天皇宸簡御消息1幅(重要文化財)>
<紙本墨書 鹿王院文書1巻(重要文化財)>
<紙本墨書 金剛院文書1巻(重要文化財)>
<夢窓疎石筆 臨幸私記1巻(附、天竜寺造営記1巻)(重要文化財)>
<夢窓疎石墨跡2幅(重要文化財)>
<扁額>
山門の「覚雄山」の三字額は、足利義満が23才の時の自筆
客殿の「鹿王院」の三字額は、足利義満が24才の時の自筆
<足利義満自筆書状>
茶室芥室の軸
1379年(皇紀2039)天授5年/康暦元年
南禅寺山門破却事件以降に、丹後に9年間隠棲していた春屋妙葩が、足利義満の再三の依頼に応じて上洛を決意したことへの
感謝と期待の書状
「其後久不申承候条 御無心元候、御上洛事 悦喜仕候、妙事以面可申 承候、恐惶謹言
四月廿四日 義満(花押)
其の後、久しく申し承らず候条ご無心の元に候 こ上洛の事
悦喜仕り候 妙事は面するを以って申し承るべく候 恐惶謹言」
<舎利殿の涅槃図>
江戸時代初期の13世 松嶺和尚のとき、堺から寄進されたもの
<開山忌(舎利会)>
10月15日
この日だけ、源実朝が宋から得たという中国伝来の仏舎牙利が公開される