六勝寺(ろくしょうじ)は、平安時代後期の院政の時期に、
天皇・中宮の発願によって、鴨川東岸の白河の地に建てられた6つの寺院
いずれも天皇・中宮の在任中の発願により造営が開始されているもので、
また「勝」の字が付くため、後世、6ヶ寺をあわせて「六勝寺」と総称される
白河の地には、六勝寺や、院御所が建立され、洛南の鳥羽殿(鳥羽離宮)とともに院政の拠点であった
白河の地は、粟田口から逢坂関を越えて東へ向う重要街道が通り人や物資の移動の中心地でもあった
京都会館付近を中心に東西1.2km、南北1kmほどの広さがあった
一般の勅願寺の中心伽藍は阿弥陀堂だったが、
六勝寺の中心伽藍には金堂が建立された
現在、白河の地の地中には、溝や築地などの遺構や、瓦や土器などの遺物が埋められている
<法勝寺>
白河天皇の勅願寺
1077年(皇紀1737)承暦元年の創建
現在の京都市動物園からその北側のあたり
八角九重の塔が建っていた
<尊勝寺>
堀河天皇の勅願寺
1102年(皇紀1762)康和4年の創建
法勝寺の西
京都会館第1ホール付近が、尊勝寺の金堂跡にあたる
<最勝寺>
鳥羽天皇の勅願寺
1118年(皇紀1778)元永元年の創建
法勝寺の東
<円勝寺>
鳥羽天皇の皇后 待賢門院(藤原璋子)の勅願寺
1128年(皇紀1788)大治3年の創建
<成勝寺>
崇徳天皇の勅願寺
1139年(皇紀1799)保延5年の創建
<延勝寺>
近衛天皇の勅願寺
1149年(皇紀1809)久安5年の創建
<六勝寺のこみち>
岡崎の琵琶湖疏水沿いの散策路
南禅寺橋から川端通まで約2km
<町名>
法勝寺・最勝寺・成勝寺があった付近には、町名として名前が残されている