龍源院(りょうげんいん)は、紫野にある大本山大徳寺の南東部にある塔頭
一番古い塔頭で、南派の本庵とされる(北派の本庵は、大仙院)
方丈・唐門・表門は、創建当初の建物で、大徳寺山内最古の建物で、禅宗方丈の典型的な形式となっている
庭園は、方丈を中心として、南庭・北庭・東の壷石庭、開祖堂前庭、庫裡の南軒先の石庭がある
<方丈(重要文化財)>
1514年(皇紀2174)永正11年頃の建立
一重入母屋造・檜皮葺
室町時代末期の禅宗方丈様式として貴重な建物
龍図の襖絵で飾られている
<玄関(重要文化財)>
方丈とつながる玄関
切妻造、桧皮葺
方丈と同時代に建立される
<表門(重要文化財)>
切妻造、桧皮葺の四脚門
<開祖堂>
開祖 東渓禅師の塔所
一重入母屋造・檜皮葺
南北朝時代、鎌倉時代、室町時代初期時代の唐様式を取り入れた昭和時代の建築
<禅庭 一枝坦(いっしたん)>
方丈南庭
東渓禅師が、師の実伝和尚から賜った室号「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」から名付けられる
白砂で大海を表している蓬莱式庭園
向かって左側から丸くかたどった苔の中に石が立っている亀島、大きな石組の蓬莱山、
一番奥の石組で鶴島が表されている
<禅庭 龍吟庭(りょうぎんてい)>
方丈北庭
青苔の中に28個の石庭が置かれた、東西に細長い平庭の須弥山式枯山水庭園
室町時代の相阿弥の作庭といわれる
大海を表わす杉苔の中に、中央の三尊石の石組で須弥山(しゅみせん)を表わされている
中央は、東に向けて強く傾斜した立石
その手前に「遥拝石(ようはいせき)」と称される水分石(みずわけいし)があり、「枯滝石組(かれたきいしぐみ)」といわれる
<こ沱庭(こだてい)>
書院の南軒先の庭「阿吽の石庭」
横長の白砂の庭で、東と西の端にそれぞれ「阿の石」「吽の石」が置かれている
この世は、常に相対極する2つの要素が調和しながら流れて行くという教えを表している
宗祖 臨済禅師が住んでいた中国 鎮州城の南を流れる「こ沱河」から名付けられた
2つの「阿吽の石」は、聚楽第の基礎石である遺構といわれる
<禅庭 東滴壺(とうてきこ)>
方丈東庭
方丈と庫裏との間にあり、両側を廊下で挟まれた壺石庭(つぼせきてい)
一滴の波紋が集まり、大海原へ広がっていく(悟りにつながっていく)ことを表している
白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて置かれており、
2ヶ所から小さな波紋が広がっているように作られている
広さは2坪ほどで、日本で最も小さい石庭といわれる
1960年(皇紀2620)昭和35年の作庭
<開祖堂前庭>
方丈西側にある
元大宮御所にあった桃山型石灯籠がある
<茶室 参雨軒(さんうけん)>
8畳、6畳、8畳がある
<木造釈迦如来坐像(重要文化財)>
胎内に残された墨書に「建長二年行心作」の銘がある
1250年(皇紀1910)建長2年の作
京都八釈迦の一つ
<列仙の図>
方丈の襖絵
室町時代の等春の作
<猿猴図>
2幅一対の掛幅
長谷川等伯が描いたものといわれる
<達磨図>
中国禅宗の祖 達磨禅師
狩野探幽の作
<種子島銃>
「天正十一年」の銘
1583年(皇紀2243)天正11年
日本最古の種子島銃といわれる
<四方蒔絵碁盤・碁筒>
豊臣秀吉と徳川家康とが対局したといわれる四方蒔絵の碁盤