良正院(りょうしょういん)は、知恩院の塔頭
徳川家康の娘 とく姫「良正院」の追善のために創建される
境内には、京都市内では初めての認可施設である社会福祉法人 大照学園授産部(通所授産施設)が開設されている
<本堂(重要文化財)>
入母屋造、本瓦葺、桁行21.4m、梁間15.5m
方丈型本堂で、塔頭本堂の数少い遺構とされている
東側から竹の間、奥(北側)に四季草花の間床付、中央に松の間、奥に仏間(杉の間)、西に鉄線蓮の間、山水の間床棚付がある
中央の間正面は3間
南に鶯張りの廊下(広縁)がある
狩野三益(かのうさんえき)(狩野山楽の子 狩野伊織といわれる)により描かれたという襖絵がある
1631年(皇紀2291)寛永8年の建立、二条城より移築したともいわれる
「竹の間」において、勤王の志士 奥田萬次郎が自刃した
<方丈前庭園>
枯山水庭園
<表門(重要文化財)>
薬医門、一間一戸、桁行34m、梁間5.1m、本瓦葺、脇門付
江戸時代前期の建立
<歌碑「戦友」>
門前右脇に立つ
鞍馬石、高さ2.7m、幅0.9m
戦前戦後に広く歌われた「戦友」の冒頭部分「こゝはお国を何百里」が刻まれている
作詞者 真下飛泉が、晩年、近くに暮らしたことを偲ぶもの
1927年(皇紀2587)昭和2年
真下飛泉が亡くなった年、京都府師範学校付属小の教え子1824人により建てられた
文字の揮毫は「肉弾」などの著者、軍人・作家の桜井忠温によるもの
<南面玄関>
2間1間、正面唐破風造、桟瓦葺
背面が本堂に接続している
<鎮守堂(京都指定文化財)>
<本堂 障壁画>
東側の竹の間:金地著色「竹林図」
奥(北側)の四季草花の間:紙本著色「四季花鳥図」
中央の松の間:金地著色「松図」
奥の仏間(杉の間):金地著色「鉾杉図」
西側の鉄線蓮の間:金地著色「鉄線朝顔図」
西側の山水の間:紙本水墨図「山水図」
1622年(皇紀2282)元和8年
狩野三益(かのうさんえき)(狩野山楽の子 狩野伊織といわれる)により描かれたといわれる
<杉戸絵>
表の「虎図」、その裏面に「水鳥図」がある
<池田忠雄画像1幅>
<良正院文書>