龍潭寺(りょうたんじ)は、亀岡市市街地の西部、稗田野町にある妙心寺の末寺
行者山(標高431m)の山麓にある
京都府指定名勝になっており、時代劇のロケ地にも用いられている
龍安寺と龍興寺(南丹市八木町)とともに妙心寺派の三龍寺とされる
子供のかん虫に効き目があり、子供守護の信仰を得ている
戦国時代
1480年(皇紀2140)文明12年 応仁の乱の頃
妙心寺6世 雪江宗深が、丹波国守護 細川政元の援助により、庵を創建し大梅寺(だいばいじ)を創建したのが由来
1489年(皇紀2149)延徳元年に焼失する
1492年(皇紀2152)明応元年
雪江宗深の弟子 特芳禅傑(とくほうぜんけつ)が、細川政元の外護を得て再建し「龍潭寺」と改められる
安土桃山時代
天正年間(1573年〜1592年)
織田信長の命による明智光秀の丹波平定の兵火により衰退する
明智光秀の亀山城の築城のとき、
織田信長の命により、境内の石仏、石碑、石塔などが亀山城の石垣や石造物として利用され荒廃する
その後、皇室や徳川氏の帰依により復興される
<山門>
山門前は時代劇にも使われている
方丈に向かう参道は石畳になっている
<方丈>
<庫裏>
<経堂>
<青巌塔(開山堂)>
<庚申堂>
青巌塔の裏の石段を上がったところにある
石段の脇には、西国三十三所観音霊場の石仏や地蔵菩薩などがある
細川政之の念持仏といわれる青面金剛童子像が祀られている
お堂には「身代わり猿」が吊るされている
天井には、雲龍図が描かれている
<放生池>
龍潭寺の名前のように、龍の潜む潭といわれる
「潭(たん)」とは、水を深くたたえたところ
<弁財天社>
<庭園(京都府指定名勝)>
自然を活かした老木奇岩がある門前の庭園
時代劇のロケにも使われ、紅葉のライトアップも行われていた
<青面金剛童子立像>
庚申堂に安置されている
細川政元の念持仏といわれる
<行者山>
龍潭寺の北西にある標高431mの山
花崗岩の塊でできており、古くから石材の切り出しが行われており、石切り場の露岩などを生かして作庭が行われている