立本寺(りゅうほんじ)は、京洛法華21本山の一つの寺院
広大な境内を持ち、明治維新以前は20以上の塔頭があり、現在でも4ヶ寺の塔頭が残っている
本堂前には桜が咲き、7月には70種類の蓮(ハス)、8月には百日紅が咲く
明治維新以前は、寺地10,000坪の広大な敷地と、20の塔頭があった
本堂と祖師堂、刹堂をコの字型に配置される典型的な日蓮宗の伽藍
<本堂(京都市指定有形文化財)>
入母屋造、桁行7間、梁行7間
周囲に落縁をめぐらし、正面と背面に向拝三間が付いている
日蓮宗七間堂の典型的な建物に、多くの装飾が施され、変化に富んだ空間構成となっている
1743年(皇紀2403)寛保3年の建立
本尊の十界曼陀羅が立体化されるように諸仏が安置されている
中央の須弥檀に釈迦如来像と、多宝如来像
両脇に普賢菩薩・弥勒菩薩や四天王など多数の仏像が安置されている
その正面に、日蓮像(冑の御影)が安置されている
左右の奥には、日朗・日蓮・大覚妙実上人が祀られている
須弥檀の背面には「十六羅漢図(重要文化財)」がある
正面の扁額「立本寺」は、本阿弥光悦の直筆
<客殿(きゃくでん)(京都市指定有形文化財)>
本堂の後方に立つ
六間取方丈形式(むまどりほうじょうけいしき)の日蓮宗客殿の特色を持つ
上間一の間は「上段の間」と称される
中央寄りの2部屋は、室境に菱欄間が施され、建具を入れずに2部屋を広い部屋としており、
仏間が背面に張り出されている
床の間には、雪舟の「寒山捨得図」が掛けられている
1728年(皇紀2388)享保13年の建立
<刹堂(せつどう)(京都市指定有形文化財)>
本堂前の東よりに立つ
日蓮宗の守護神である十羅刹女と鬼子母神を本尊として祀られており、
「鬼子母神堂(きしぼじんどう)」とも称される
左脇には、大黒天と宝吉祥天子(たからきっしょうてんじ)が祀られている
吉祥天は、鬼子母神の子供で、不吉な災いを祓って福徳を授けるといわれる
右脇には、第20世 日審が祀られている
1719年(皇紀2379)享保4年の再建
1783年(皇紀2443)天明3年に焼失
1811年(皇紀2471)文化8年に、現在の建物が再建される
<祖師堂>
本堂前の西よりに立つ
日蓮像(冑の御影)が安置されていたが、建物が古くなり本堂に移された
<妙見堂>
刹堂の前に立つ
日蓮宗の守護神の一つの妙見菩薩が祀られている
妙見菩薩は、北斗七星を神格化したもので、諸星の王として宇宙万物の運気を司り支配するといわれる
国土を守護し、災害を減らし、貧窮を救い、一切の諸願を満足させるといわれる
<庫裡>
客殿の奥(北)に立つ
<書院>
庫裡の奥(北)に立つ
<山門(総門)(京都市指定有形文化財)>
七本松通に面する高麗門
1778年(皇紀2438)安永7年の建立
<鐘楼(京都市指定有形文化財)>
山門をくぐった正面の奥に立つ
寛文年間(1661年〜1673年)の建立
京極今出川の地にあったときに焼失をまぬがれて移築されたもの
<庭園(京都市指定名勝)>
本堂の背後(北川)に、本堂と後方の客殿を結ぶ渡り廊下の左右に、西庭から南庭へ広がる2つの独創的な
築山枯山水庭園がある
1843年(皇紀2503)天保14年から1850年(皇紀2510)嘉永3年
立本寺第50世 日倒のときに作庭されたといわれる
南庭
客殿の南側にあり、黒門が立つ
東西約17m、南北約12mの約200m2
客殿の付近は、苔で覆われ、中央に大きな築山があり、灯籠と、傍らに手水鉢が置かれている
西側にもゆるやかな築山がされている
高い木と中低の木が植栽されている
庭を囲う土塀の向こうには、本堂の屋根が見え、近景・中景・遠景が楽しめる
西庭
書院と客殿に面する
東西約20m、南北約45mの約900m2ある細長い庭
5つの築山が築かれ、多くの景石が置かれている
客殿西正面奥の築山には、枯滝の石組みが置かれ、灯籠・手水鉢・五輪塔が添えられている
<墓地>
灰屋紹益・石田三成の軍師・島左近らのお墓
明治維新以前は、寺地10,000坪の広大な敷地と、20の塔頭があったが、現在は4ヶ寺が残る
<正行院>
<教法院>
<光源院>
<大輪院>
<十六羅漢図(重要文化財)>
本堂の須弥檀の背面にある
山中の丸みを帯びた岩や雲の中に、羅漢と従者、総勢21名が描かれている
1746年(皇紀2406)延享3年
渡辺始興が64歳のときの作品
<紺紙金銀泥 法華経宝塔曼荼羅図8幅(重要文化財)>
奈良国立博に寄託されている
客殿には、完全レプリカが展示されている
<法華経及び観普賢経(藍紙)7巻(重要文化財)>
<日蓮像(冑の御影)>
もとは祖師堂に安置されていたが、建物が古くなったため本堂に安置されている
松永久秀の家臣 佐々木広次が信仰していたといわれる像
出陣のときに、無地に凱旋することができれば一寺を建てることを祈願して、
像の上に冑(かぶと)をかぶせて、地中に埋めたといわれる
盗賊がこれを盗もうとしたが、像は岩盤のように重くて動かなかったといわれる
<鬼子母神例祭>
毎月8日
安産・子育て守護にご利益がある子安鬼子母神がご開帳される
<元旦祝祷会> 1月1日
<寒修行> 1月大寒入り
<釈尊降誕花まつり> 4月8日
<施餓鬼法要・宝物虫干展観> 8月24日
<お火焚祭> 11月8日
<日蓮聖人お会式> 12月8日
<幽霊子育飴の伝説>
立本寺第20世 日審は、母親が身ごもったまま亡くなり、
墓の中で生まれ、幽霊となって飴を買いに通った母親に育てられたといわれる
助け出され、8歳のときに仏門に入り、無類の説法名手といわれる高僧となる
書き判が壺に似ていることから「壺日審さま」と称される
1666年(皇紀2326)寛文6年3月15日
68歳で亡くなったといわれる