西岸寺(さいがんじ)は、深草 奈良街道沿いに、第三軍道を上がったところにある寺院
関白 藤原忠通が建てた法性寺の小御堂(こみどう)があったところ
藤原忠通の子 九条兼実が、法然上人に、阿弥陀如来の本願を証明させるために、
娘 玉日姫と親鸞聖人を結婚させた
<本堂>
<玉日姫御廟所>
<納骨堂>
<本尊 阿弥陀如来>
<親鸞草鞋懸立像>
<玉日姫御木像>
<九条兼実木像>
<九相図 5幅1組>
<玉日姫(たまひひめ)>
関白 九条兼実は、法然上人に「阿弥陀如来は、僧侶も、結婚して世俗の生活をしている人も同じように救うということなら
弟子の僧侶と、娘 玉日姫を結婚させて阿弥陀如来の救いが本物であるということを証明して下さい」といわれた
親鸞聖人は、六角堂で夢告を受けたことから、玉日姫を妻として迎えられた
親鸞聖人は、承元の法難により越後国国府へ流罪になり、玉日姫は花園御殿を守り通し亡くなられた
<坊守(ぼうもり)>
浄土真宗の寺院の住職の妻のこと
親鸞聖人の妻となった九条兼実の娘 玉日姫は、親鸞聖人が越後国国府へ流罪になった後にも、
寺院に残られ帰りを待っておられたことで、法然上人が玉日姫のことを「よき坊守」と称されたことによる