西寿寺(さいじゅじ)は、鳴滝の周山街道から北に外れて、坂道を登りつめた山腹にある寺院
本堂を建立するときに、地中から泉がわき出たことから「泉谷(いずみだに)」とも称される
京都市市内が一望できる
<本堂>
1660年(皇紀2320)万治3年
愚故上人により再興された建物
<三重石塔>
近江国の石塔寺(滋賀県蒲生郡)の阿育王塔(国宝)を模したもの
法然院の墓地にも、阿育王塔を模した三重塔がある
阿育王は、紀元前3世紀に仏教を広めたインドの王
<お墓>
儒者 藤井懶斎のお墓
書道家 桑原空洞のお墓
袋中上人のお墓
<手水>
山号「泉谷山」の由来になった清水が、涸れることなく現在も用いられている
<泉のささやき>
庭園に「丈六」「三光石」の1対の水琴窟がある
「泉谷」の地名の由来ともなった聖なる泉の清水がそそがれ、自然のままの音がでている
<阿弥陀如来坐像>
本堂の本尊
定朝様の丈六(276cm)であり「丈六の弥陀」と称されている
寄木造、像内内刳り、漆箔仕上げ
阿弥陀の定印を結び、右足を前にした結跏趺坐、蓮華坐上に坐し、円光を背負う
1172年(皇紀1832)承安2年頃
円派の仏師により造仏されたといわれる
1659年(皇紀2319)万治2年
愚故上人が、近江国甲賀郡上野村(現在の滋賀県甲南町)の新宮大明神社の本地仏を、馬3頭に分けて運び、本尊として祀られた
<阿弥陀如来坐像>
鎌倉時代の作
像高25cm
京都国立博物館寄託
<当麻御供養図>
<大涅槃図>
縦約4m、横約3.8m
江戸時代に奉納されたもの
2007年(皇紀2667)平成19年
修復されている