西園寺(さいおんじ)は、上御霊神社の東、鴨川の西、鞍馬口から寺町通を下がったところにある寺院
太政大臣 藤原公経(西園寺公経)が創建した、公卿 西園寺家ゆかりの寺院
<本堂>
本尊の阿弥陀如来坐像が祀られている
1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火により焼失し、その後、現在の本堂が建立される
<地蔵堂>
「延命地蔵経四十八身応現 第二十転輪聖王身」といわれる
北山に西園寺があったときの功徳蔵院の遺仏といわれる「槌止地蔵(つちとめじぞう)」が安置されている
内側の壁には、江戸時代の小泉直晃の筆による地獄図・極楽図が描かれている
<開山堂>
開基 藤原公経(西園寺公経)の法体姿の木像が祀られている
<妙音堂>
琵琶を持った妙音弁才天が祀られている
西園寺家は、天皇・上皇らに琵琶の秘曲を伝授してきた宗家であり、琵琶の守護神として祀ったといわれる
北山殿の妙音堂において琵琶相伝が行われていたといわれる
<法然上人立像>
法然上人の若き日の修行の姿といわれる
<山門>
<高麗門>
山門の東にある
<庫裏>
<石仏>
<鐘楼>
<十三重石塔>
<稲荷社>
<墓地>
公卿 西園寺家のお墓(西園寺公経、西園寺公衡)
下鴨神社の祠官で歌人の梨木祐之(なしのきすけゆき)・梨木祐為(なしのきすけため)のお墓
茶人 久田宗全のお墓
国学者・神道家の鴨祐之のお墓
女流漢学者・勤皇家の若江薫子のお墓など
<木造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
本堂の本尊
像高227.5cm、寄木造、二重円光の光背
結跏趺坐し、膝上で定印(じょういん)を結んでいる
平安時代の恵心僧都 源信の作といわれる
西園寺公経の北山殿にあった像といわれる
<槌留地蔵菩薩像>
地蔵堂に祀られている
恵心僧都 源信の説く「悪事を打ち止めし善事を励ます」という地獄極楽の教えにもある、清流(横川の流れ)を土止めして
転輪聖王地蔵菩薩として再現したものといわれる
北山殿に西園寺があったときの功徳蔵院(くどくぞういん)の遺仏といわれる
右手は垂れ、左手に宝珠を掲げており、截金文様が施されている
鎌倉時代の作といわれる
<梵鐘>
境内の鐘楼の鐘
戦時中に没収され岡山県の銅精錬所まで送られたが、溶解される直前に終戦となり返品されたもの
梵鐘側面に、銅の質を調べるために抜き取った4つの穴が開いている
<扁額>
本堂の正面の扁額
第12代・第14代内閣総理大臣 西園寺公望の筆
<西園寺家>
太政大臣 藤原公経(ふじわらきんつね)(西園寺公経)が、衣笠山の麓(現在の金閣寺の辺り)に、菩提寺の「西園寺」を
創建したことが由来
藤原公経は、藤原氏北家閑院流、藤原実宗(さねむね)の次男
鎌倉幕府と交流があったことから隆盛したが、鎌倉幕府が滅亡すると衰退してしまう
延宝年間(1673年〜1681年)に断絶する
明治時代
公家 徳大寺公純の次男 西園寺公望が西園寺家を継ぐ
王政復古により貴族政治家となり、第12代・第14代内閣総理大臣を歴任する
1869年(皇紀2529)明治2年には、家塾 立命館を創設している