三玄院(さんげんいん)(SangenIn)

所在地:京都市北区紫野大徳寺町   卍地図情報卍

臨済宗大本山 大徳寺塔頭

開基:浅野幸長、石田三成、森忠政(森蘭丸の弟)

開山:大宝円鑑国師 春屋宗園(しゅんおくそうえん)

 三玄院(さんげんいん)は、紫野にある大徳寺塔頭の一つ

 小堀遠州古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などが、春屋宗園から禅を学んだといわれる

【三玄院の歴史・経緯】


【三玄院の伽藍】

 <石碑「石田三成御墓処」>
 門前に立つ

 <本堂>
 原在中の筆の襖絵の「八方にらみの虎」

 <客殿>
 1817年(皇紀2477)文化14年
 大徳寺塔頭 龍翔寺の客殿が再建され、その後、移築されたもの

 <八窓の茶室 篁庵(こうあん)>
 古田織部好みの三畳台目、八ツ窓
 十畳「自得軒(じとくけん)」がある
 江戸時代文政年間(1818年~1830年)の建立
 明治時代末期に、西本願寺より移築された

 <墓地>
 春屋宗園・石田三成・森忠政・茶人 薮内剣仲・茶人 古田織部のお墓


 <寮舎「清泉寺」>
 初めての准塔頭となる
 大徳寺北派
 久我家の墓塔がある
 1481年(皇紀2141)文明13年
 伏見に創建される
 1600年(皇紀2260)慶長5年
 範叟規座元により、大徳寺山内の方丈北(大林宗套の栽松軒跡地)に移される
 寛文年間(1661年~1673年)
 中興の祖 伝外宗左に継がれる

 <寮舎「見性庵」>
 長州 益田景祥が室 兒玉氏のために、三玄院門の左に創建する
 萬江宗程が天祐紹杲(てんゆうしょうこう)を勧請開祖とする
 1816年(皇紀2476)文化13年
 焼失し、再興されなかった

 <寮舎「自得庵」>
 見性庵の裏にあった
 文化年間(1804年~1818年)に焼失した

 <寮舎「心華庵」>
 梅巌庵の門の左にあった

 <寮舎「西江庵」>
 梅巌庵の背後にあり、その後、裏山に移される
 大徳寺北派
 貞享年間(1684年~1688年)
 大徳寺238世 列堂義仙が創建する

【三玄院の寺宝】

 <絹本著色 大宝円鑑国師像(宗佐本) 1幅(重要文化財)>
 春屋宗園の像
 111.2 × 50.7cm
 1594年(皇紀2254)文禄3年
 長谷川等伯の筆

 <大宝円鑑国師像(宗仲本)>
 宗佐本とほぼ同じ構図、109.8 × 49.5cm
 同年1594年(皇紀2254)文禄3年の作

 <三玄院客殿障壁画 31面>
 江戸時代後期の原派の祖 原在中の筆
 1820年(皇紀2480)文政3年の作
 ・「波に虎図(八方睨みの虎)」14面
  は、仏法を護持する霊獣とされている
  左側のの絵は、中国の南宋末の禅僧画家 牧渓(もっけい)の絵をもとに描かれたといわれる
  どこから見ても睨んでいるように見え「八方睨み」と称される
  右側のの絵は、の動きが早と想像されて頭部などは描かれず、逆巻く波と雲、の鱗が溜し込み技法(墨色の滲み効果)により描かれている

 ・「猿猴図」5面、「花鳥図」8面、「芦雁図」8面、「雪景山水図」6面
  四季の花鳥風月を、狩野派・円山派・阿弥派・土佐派・琳派などの技法を用いて描かれている

【三玄院へのアクセス】

 市バス 大徳寺前 徒歩約5分

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