三千院(さんぜんいん)は、京都市街から北東山中の、貴人や仏教修行者の隠棲の地でもあった大原の里にある
延暦寺を開いた伝教大師 最澄が、東塔南谷に草庵を開いたのが由来
大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に設けられた政所が前身
2月は椿、6月は紫陽花(あじさい)、4月は石楠花の名所
自然の地形を巧みに利用した境内に、城郭を思わせる寺周囲の石垣や白い土塀、門構などが門跡寺院の風格を現している
正門にあたる南側の朱雀門は常時閉じられており、西側の御殿門から出入りする
3つの庭園は、楓(カエデ)の紅葉の名所になっている
<御殿門>
「紅葉の馬場」に面して高い石垣に囲まれた大きな門
政所としての城廓、城門を思わせる構え
2003年(皇紀2663)平成15年秋に、修復される
<客殿>
かつての竜禅院
1173年(皇紀1833)承安3年
顕真が、別当代として竜禅院に住む
豊臣秀吉の建立
慶長年間(1596〜1615年)に建て替えられた旧御所の旧材が用いられている
障壁画は近代日本画の巨匠 竹内栖鳳・下村観山・望月玉泉・菊池芳文などの作
<宸殿(しんでん)>
法儀が行われるところ
白木造り、御所の紫宸殿の外観が模されている
1926年(皇紀2586)大正15年
三千院の最も重要な法要である宮中御懴法講の道場として建立される
中の間には、本尊の伝教大師 最澄作の秘仏 薬師瑠璃光如来像
向かって右には、歴代天皇の尊牌、左には歴代法親王の尊牌が祀られている
本尊 薬師如来像は、非公開の秘仏だが、2002年9月8日〜10月8日に開扉されたことがある
西の間には、木造救世観音半跏像(重要文化財)、木造不動明王立像(重要文化財)などが安置される
東の間には、下村観山の作の虹の襖絵がある
柱に伝教大師 最澄の言葉「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」が掲げられている
南には、有清園(ゆうせえん)の中の「瑠璃光庭」と称される苔庭がある
<往生極楽院 阿弥陀堂(重要文化財)>
本堂
往生極楽院は、平安時代末期から、大原の地にあったもので、三千院とは別の寺院だった
986年(皇紀1646)寛和2年
恵心僧都 源信が、父母のために、姉 安養尼とともに往生極楽院を創建したといわれる
1148年(皇紀1808)久安4年
阿弥陀堂は、高松中納言実衝(さねひら)の妻 真如房尼が29歳の若さで夫を亡くし、供養のために建てた常行三昧堂と
いわれる
真如房尼は、90日間休まず念仏を唱えながら、ひたすら仏の周りを回る不眠不臥の業を約30年間も続けたといわれる
単層入母屋造、柿葺(こけらぶき)、妻入の建物
間口3間、奥行き4間の小さなお堂
船底天井(船底のような形状に板を貼り、中央部を高くした天井)がある
像高2.3mの阿弥陀三尊坐像(国宝)が堂内一杯に安置されている
中央が阿弥陀如来坐像、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が安置されている
壁画は、胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵
<朱雀門>
往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門
往生極楽院を本堂としていたときの正門
平安時代の様式
江戸時代の再建
<西方門>
朱雀門の西にたつ
<金色不動堂>
智証大師の作といわれる秘仏の本尊 金色不動明王立像が安置されている
1992年(皇紀2652)平成4年
主に護摩祈祷が行われる三千院の祈願道場として建立される
<観音堂>
石庭二十五菩薩慈眼の庭の横にたつ
身の丈3mの金色の観音菩薩像が祀られている
両側には、縁を結ばれた方の小観音菩薩像が安置されている
1998年(皇紀2658)平成10年の建立
<瑠璃光庭(るりこうてい)有清園(ゆうせいえん)(京都市指定名勝)>
往生極楽院 阿弥陀堂の東側から、北の宸殿に通じる庭園
杉苔で覆われた庭と、雄大な池泉回遊式庭園
庭一面に苔が密生し、スギ・ヒノキ・ヒバなどの立木が並ぶ
所々には、お地蔵さんが苔のなかに安置されている
山畔を利用した三段式の「細波の滝(さざなみのたき)」から池へ水が流れ込んでいる
池には中島がある
春には石楠花の淡い色が園内一面を染めるなど、一年中、四季折々の花が楽しめる
江戸時代初期
茶人 金森宗和の作庭といわれる
<聚碧園(しゅうへきえん)庭園(京都市指定名勝)>
往生極楽院 阿弥陀堂の西側から客殿の南側にある池泉回遊式庭園
律川からの清流が流れ込んでいる
冬でも凍らないという、華厳音愛(けごんおんあい)の手水鉢がある
自然の美しさに感動した茶人 金森宗和(かなもりそうわ)が修復したといわれている
杉木立ちの間に見透かすようにあり、サツキの刈込も美しい
<紫陽花苑>
往生極楽院を過ぎて、金色不動に向かう参道脇に数千株の紫陽花(あじさい)が植えられている
<石庭二十五菩薩慈眼の庭>
補陀落浄土を模して二十五菩薩が安置されている
横には観音堂がある
<阿弥陀石仏>
あじさい苑内の、律川のほとりに安置されている
高さ2.25m、幅1.8mの花崗岩の石仏
高さ30cmの単弁の蓮華座に定印結跏趺坐(けっかふざ)している
背後の無地の二重光背は、自然石のままとなっている
木彫の手法で彫られている
鎌倉時代中期の作
京都市で最大最古の石仏といわれ、「大原の石仏」とも称される
<涙の桜>
往生極楽院脇の苔庭の老樹
室町時代の歌僧 頓阿が、この桜を見て「見るたびに袖こそ濡るれ桜花」と詠んだことが由来
<妙音福寿大弁才天>
弁才天は、仏教の守護神である天部の1つ
七福神の一人
仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることもある
有清園内の弁天池に注がれる金色水は、「福寿延命」の水とされる
<草木供養塔>
金色不動堂前の杉木立の中に立てられている
1993年(皇紀2653)平成5年3月15日
第61世 小堀光詮門主の建立
長崎産六方石(玄武岩)全長6m(地下1.5m)
<宝経塔>
<売炭翁旧跡>
売炭翁とは、炭の生産販売に従事する人たちのこと
このあたり一帯は、小野山の中腹にあり、昔は炭を焼く炭竈があった
「炭竈のたなびく煙ひとすじに 心細さは大原の里 (寂然法師)」
<鉈捨藪(なたすてやぶ)>
<熊谷直実腰掛石>
境内の北西、律川の末明橋の南付近
熊谷直実は、武蔵国熊谷郷出身の武士で、京都で平知盛、のちに源氏に仕えていた
その後、所領争いに破れて出家して蓮生と号し、法然上人に帰依する
天台宗の僧 顕真が、法然上人を勝林院に招いて専修念仏に関する論議(大原問答)が行われた
熊谷直実は、法然上人が敗れた場合、法敵を討ち殺そうと袖に鉈(なた)を隠し持っていたが、
法然上人に諭されて、この藪に投げ捨てたといわれる
<阿弥陀三尊坐像(国宝)>
往生極楽院の本尊
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から亡者を迎えに来る(来迎)形式の像
中央は、来迎印を結んだ阿弥陀如来
両脇侍の観音菩薩像・勢至菩薩は、蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
平安時代末期の恵心僧都 源信の作といわれる
<観音菩薩像坐像(国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の右脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで両手で蓮台を捧げている
<勢至菩薩(国宝)>
往生極楽院の阿弥陀三尊坐像の左脇侍
蓮台に大和坐り(やまとずわり)(正座)をしている珍しい像
膝を少し開き、やや前屈みで合掌している
檜(ヒノキ)の寄木造
胎内から平安時代末期の1148年(皇紀1808)久安4年の墨書が発見された
<金色不動明王立像>
金色不動堂の本尊
「出世金色不動明王」と称され、開運出世・合格祈願・良縁・社運隆盛・事業の成功などが祈願される
厳しい表情の顔、両肩から全身にみなぎる力感で強く締まった体
平安時代の智証大師円珍の作といわれる
秘仏とされ厨子の中に安置されてきていた
<毘沙門天立像>
宸殿
岩上に腹這う邪気を両足で踏んで立っている
全身を甲冑で被い、頭に宝冠をいただき、右手に三叉戟、左手に宝塔を支えている
<阿弥陀三尊立像>
宸殿
小像の阿弥陀三尊立像です
中央の阿弥陀如来は、通肩の納衣で、右手は施無畏印、左手は与願印を結んでいる
<如意輪観音菩薩坐像>
宸殿
六観音の一つ
如意宝珠で衆生の迷いを破る菩薩ともいわれている
<救世観音半跏像>
宸殿の内仏殿
開基 伝教大師 最澄からの60世以上の歴代門主の霊牌と共に祀られている
1246年(皇紀1906)寛元4年の作
飛鳥・白鳳時代の様式を忠実に再現された木造仏
<阿弥陀二十五来迎図>
中心の阿弥陀如来が、皆金色(かいこんじき)に載金模様(きりがねもよう)の衣をまとい来迎印を結んでいる
二十五菩薩も、同じく皆金色の載金模様の衣をまとっている
彩色の地蔵、龍樹の僧形の二菩薩などが来迎する様子が描かれている
<阿弥陀聖衆来迎図>
先頭に蓮台を捧げ持つ観音菩薩と、合掌する勢至菩薩、来迎印の阿弥陀如来の後に、合掌して座す五人の菩薩と
二人の僧形、その後ろに十人の音声菩薩が従う
周囲には、雲に乗った仮仏や虚空に舞う蓮弁が描かれている
<紙本墨書 声明口伝(重要文化財)>
1238年(皇紀1898)嘉禎4年2月9日
宗快法印が大原の草庵で記述した声明図譜
<紙本墨書 音律(重要文化財)>
声明の音階を譜図を用いて体系的に著したもの
1295年(皇紀1955)永仁3年5月6日
魚山末学の円珠房喜淵が小山殿本願院で書写したもの
<修正会(しゅしょうえ)>
1月元日
宸殿(しんでん)
これまで犯した三業(身・口・意)の罪や過ちを懺悔し、正しい行いをするという翻邪修正(ほんじゃしゅうせい)が行われ、
国家安穏・天下泰平が祈願される
出仕の僧侶により、「法華三昧(ほっけざんまい)という声明が唱えられる
<左義長(さぎちょう)>
1月15日
金色不動堂前広場
「お焚き上げ」「どんど焼き」とも称される
本来は 宮中における小正月の火祭行事
正月の松や注連飾り、全国から寄せられた古い祈祷札やお守りなどが焚き上げられる
御札発遣法(おふだはっけんほう)により、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)と今年の無病息災が祈願される
仏さまにお供えした鏡餅を開き、厄除けの「おぜんざい」として接待される
<金色不動尊(こんじきふどうそん)初縁日護摩供(はつえんにちごまく)>
1月28日
金色不動堂
不動明王の大慈悲は、広大無辺にしてその加持力は普く衆生に及び、人々の煩悩を護摩の浄火で焼き尽くし、
人々の諸願を成就するといわれる
加持祈祷法要により、護摩壇の爐中に火を燃やし供物・乳木(にゅうぼく)五穀を焼いて聖尊に供養する修法で、
智慧の火で煩悩、一切の悪業の薪を焼き尽くす
毎月28日はお不動さまの縁日
正月28日の初縁日は、「千日参りの日」と称され、千日参拝したのと同じ功徳を授かり、一年間の開運が約束されるといわれる
<節分会(せつぶんえ)>
2月節分
法要 宸殿(しんでん)・豆まき 金色不動堂
早朝より僧侶が般若心経を一年の日数分を唱え(日数般若心経讀誦(にっすうはんにゃしんぎょうどくじゅ)息災が祈願される
<初午大根焚き(はつうま だいこんだき)>
2月初午の日
金色不動堂前広場
不動護摩供により、無病息災・開運招福が祈願される
出世金色不動明王のご加護とご利益をいただけるよう祈祷された大根焚きが行われる
<涅槃会>
2月15日
宸殿(しんでん)
お釈迦様の入滅の様子が描かれた「涅槃図」を掲げて、その遺徳を偲ぶ常行三昧(じょうぎょうざんまい)の法要が行われる
五色豆の授与も行われる
<星供(ほしく)・星祭(ほしまつり)>
2月28日
金色不動堂
ご自身との深い星を供養し、祈願する
星供法要は、密教法要で、午前11時に金色不動堂の全ての戸を閉め、明かりを遮断し、暗闇の中に蝋燭を灯して
大宇宙の星空を密壇の上に顕現させる法要
「北斗法」「本命星供私記」「宿曜経」などの星に関する密教のお経が、鎌倉時代より伝承されている
<春季彼岸会(しゅんきひがんえ)>
3月20日(春分の日)
宸殿(しんでん)
法華懺法(ほっけせんぼう)と例時作法(れいじさほう)が交互で行われ、禅定を組んで沈む夕陽を見つめ、
西方の彼方におられる阿弥陀如来と極楽浄土の様子を想い浮かべる
<写経会(しゃきょうえ)>
3月28日
円融房(えんゆうぼう)
供養のために経文を写す如法写経(にょうほうしゃきょう)の法要が行われる
<花まつり・降誕会(ごうたんえ)>
4月8日
宸殿(しんでん)
釈尊の誕生を讃嘆して営まれ、仏生会(ぶっしょうえ)潅仏会(かんぶつえ)と称される
花御堂をしつらえて中に誕生仏を安置し、雨と降った甘露を象徴するものとして「甘茶」を像にかける
平安時代には五種類の香水(五色水)が注がれていたが、江戸時代に甘茶に替わったといわれる
甘露は、飲むと不老不死になるという霊薬で、諸天の常用する飲み物といわれる
<草木供養法要>
4月12日
金色不動堂
諸天の神々を招き集めるための声明が唱えられる
<不動大祭>
4月28日
金色不動堂の本尊、金色不動明王立像の特別御開扉が行われる
不動大祭開白・百味供養護摩供法要(ひゃくみくようごまくほうよう)
僧侶が読経する中、参拝者らによって、金色不動明王に息災を感謝して果物や茶葉など多彩な食材が供えられる
護摩炊きも行われ、無病息災や家内安全が祈願される
<御懺法講(おせんぼうこう)>
5月30日
宸殿(しんでん)
懺法は、自ら知らず知らずのうちにつくった諸悪の行いを懺悔して、心の中の「むさぼり・怒り・愚痴」の三毒を取り除き、
心をさらに静め清らかにするという、天台宗にとって最も大切な法要儀式
門主が導師を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が
厳かに行われる
1157年(皇紀1817)保元2年
後白河天皇が御所の仁寿殿において、宮中御懺法講として行われた天皇家の回向法要が由来といわれる
「声明法」と称される雅楽と声明による平安時代の古儀にのっとり、約2時間の宮中の伝統法要が再現される
<あじさい祭>
6月中旬〜1ヶ月間
金色不動堂
降魔折伏の大般若経転読会、炎と煙による息災祈願の採灯大護摩供法要(さいとうごまくほうよう)が行われる
本山修験宗 総本山 聖護院門跡から大導師を迎えて、法剣・法弓・斧の作法など、
修験道の古儀に則った法要が行われる
僧侶が経本を転読することによっておこす風と、僧侶が喝破する「降伏一切大魔 最勝成就」の声で、
世界平和・家内安全・当病平癒・除災招福などのご利益が与えられる
奥の院あじさい苑
ホシアジサイやヤマアジサイなど3000株以上の紫陽花(あじさい)がある名所
<盂蘭盆会施餓鬼法要>
7月15日
宸殿
かつて僧侶に百味の飲食(おんじき)を捧げて供養したのが由来
現在では、先祖の霊に飲食を供え、餓鬼(がき)に供物をほどこす施餓鬼会が行われる
三千院門主が、大導師となり天台密教の秘法である光明供(こうみょうく)を行い、
僧侶が天台声明の大曲である「九条錫杖(くじょうしゃくじょう)」を唱え、錫杖師(しゃくじょうし)が各条ごとに錫杖を振り鳴らし、
三界万霊すべての霊を成仏に導き、世界平和と人類の幸福が祈願される
三千院では「九条錫杖」の九条全曲が唱えられる稀な法要とされる
<万灯会法要>
8月14・15日
奥の院・不動堂・観音堂前広場を中心に境内全域
一万本の灯明を灯して、先祖の精霊を回向される
<放生会>
8月28日
金色不動堂(大般若転読会)・往生極楽院東側の放生池(放生会)
中国 天台山で修行をしていた天台大師 智顗禅師(ちぎぜんじ)が、天台山の麓にいる漁民が必要以上に魚を捕り、
無用となった魚を棄てる殺生が行われており、その地域では遭難が多く発生していたといわれる
智顗禅師は、放生池を作り、慈悲の心を教えて魚を池に放つことを行わせたところ平和な日々を送れるようになったと
いわれるのが由来
<秋季彼岸会曼荼羅供・越中おわら踊り>
9月秋分の日
宸殿・金色不動堂前広場
三千院門主が密教の修法をしつつ、僧侶が声明を唱えて諸尊諸仏を供養する
曼荼羅供法要で唱えられる声明は「天台声明の華」と称されるように華やかな趣きがあるといわれる
三年を一周期として「胎蔵界」「金剛界」「金胎両界」の曼荼羅供法要が行われる
<観音大祭百味供法要(かんのんたいさいひゃくみくほうよう)>
10月18日
観音堂
百味の穀物・野菜・果物・乾物などを観音さまの御宝前にお供えして、一年間の感謝と、これからの一年間の幸福を祈願する
<もみじ祭>
10月28日〜11月28日
金色不動堂 境内一円
通常は非公開の仏像や古文書などが展示され、秘仏金色不動尊開扉護摩供が行われる
<托鉢寒行(たくはつかんぎょう)>
12月23日
大原地区一帯
托鉢は、仏道修行に励むための十二の実践項目「十二頭陀行(ずだぎょう)>のひとつ
僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞う
声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
日本音楽の源流といわれる
インドのバラモン僧が、一般教養として修得すべき五つの実践的な学問「五明」の一つ
慈覚大師 円仁が、中国 五台山や唐の都で行われていた仏教儀式音楽(五会念仏)を延暦寺に伝えた
慈覚大師 円仁は、多くの声明曲を五曲(長音供養文・独行懺法・梵網戒品・引声念仏・長音九条錫杖)に分けて
弟子に伝えられた
1097年(皇紀1757)承徳元年
聖応大師 良忍上人によって、大原で体系的に整理され、集大成された
<呂川(りょせん)と律川(りつせん)>
三千院を挟んで北側に「律川(りつせん)」、南側に「呂川(りょせん)」と称される小さな川が流れている
声明の里である大原にちなみ声明の呂(呂旋法)と律(律旋法)から名付けられている
呂曲(呂旋法)を律旋法で唱誦するときに、うまく呂と律の使い分けが出来ないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言われる
律川を渡ったところに、石仏があり、上流に実光院・宝泉院・勝林院があり、さらに上流には音無の滝がある
呂川に沿って朱雀門があり、上流に来迎院・蓮成院・淨蓮華院・聖応大師良忍廟がある
<JR東海「そうだ 京都、行こう。」>
2008年(皇紀2668)平成20年の秋のキャンペーンで、
「紅葉の中で仏さまに出会ってしまいました。急いでケータイを切ります。あしからず。」 と紹介される