誓願寺(せいがんじ)は、新京極の繁華街の中に建つ寺院
和泉式部や、豊臣秀吉の側室 松の丸殿が帰依したことにより、浄土門の聖地・女人往生の道場とされる
恵心僧都 源信が、善財講を修し、一遍上人も念仏賦算を行った
現在は、法然上人の高弟 西山上人善恵房證空の流れをくむ、浄土宗西山深草派の総本山
桃山時代
京都でも有数の境内約6,000坪の大規模な伽藍を持ち、表門は寺町六角、裏門は三条通に北面して、
本堂・開山堂・釈迦堂・三重塔・地蔵堂2宇・経蔵・鼓楼・方丈・鎮守春日社・十三仏堂、
十八ヶ寺の山内寺院があった
<西門>
二つの門のうち繁華街に面する表門
<東門>
比較的人通りの少ない道路に面している門
<本堂>
三角形の屋根、鉄筋コンクリート造
1964年(皇紀2624)昭和39年の創建
<扇塚>
西門を入ってすぐ右手にある
天保年間(1830年〜1844年)
能楽的な色彩と、歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を持った篠塚流の祖 篠塚文三郎が活躍し、
和泉式部信仰により誓願寺に参拝したといわれる
誓願寺第55世 策伝日快上人にゆかりの深い扇塚が建てられたといわれる
舞踊家や落語家など芸道に励む人により、日常使っていた扇を塚に納め、芸道精進を祈願される
「芸道上達祈願扇塚誓願寺」と書かれた石碑も立っている
<迷子のみちしるべ>
誓願寺門前の石造角柱
1882年(皇紀2542)明治15年の建立
正面に「迷子みちしるべ」、右側に「教ゆる方」、左側に「尋ぬる方」と彫られている
江戸時代末期から明治時代中期に、まだ警察がなかった時代に、各地の社寺や盛り場に建てられたもののうち、
京都市内に現存する3石中(誓願寺と北野天満宮、八坂神社)の一つ
迷子や落し物などのとき、この石に紙を貼って情報交換されていたことから「月下氷人(仲人)役の石」といわれ
「奇縁氷人石」と称される
阿弥陀如来の恵みで、生き別れた母子が再会できたという霊験にあやかってといわれる
新京極の七不思議の一つ
<北向地蔵尊>
<墓地>
安楽庵策伝上人(あんらくあん さくでんしょうにん)のお墓
医師 山脇東洋のお墓
<十一面観音菩薩>
弘法大師の作といわれる
一言で願いを叶えてくれる「一言観音(ひとことかんのん)」として信仰を集めている
元は、新京極中筋町の長金寺(ちょうごんじ)(一言堂)の本尊だったもの
明治時代に長金寺が廃寺になり、本堂脇檀に安置された
<阿弥陀如来坐像>
本堂の正面に安置されている本尊
当初の本尊は、解剖学者 山脇東洋が、医学解剖に貢献した囚人たちの菩提を弔うために、
五臓六腑のある阿弥陀如来を作って寄進したといわれる
元治年間(1864年〜1865年)の大火で焼失
現在の本尊は、それ以降のもの
<聖観世音菩薩像>
本堂に安置されている
<木造毘沙門天立像(重要文化財)>
平安時代の作
像高91.5cm
京都国立博物館に寄託されている
<醒酔笑(せいすいしょう)>
教訓的でオチのある笑い話を千余り集めた著書
誓西山深草派法主55世 安楽庵策伝上人(あんらくあん さくでんしょうにん)が、京都所司代 板倉重宗の求めに応じて書いたもの
落語を書いた本の先駆として貴重なもの
策伝上人は、「落語の祖」と称され、文人や茶人としての才能も優れていた
現在でも、誓願寺で策伝忌法要が行われ、落語も奉納される
<絹本著色誓願寺縁起三幅(重要文化財)>
<地蔵十王図十一副(京都府有形文化財)>
<修正会>
1月1日
<初洛陽六阿弥陀めぐり>
1月15日
江戸時代初期
一年の最初の六阿弥陀巡りで、「南無阿弥陀仏」を念ずれば極楽浄土するといわれる
<洛陽六阿弥陀めぐり>
阿弥陀如来を安置する六か寺を巡拝する
まず、真如堂で洛陽六阿弥陀巡拝の証をもらい蓮華の朱印を受け、
永観堂・清水寺阿弥陀堂・安祥院・安養寺の順で回り、誓願寺で結願する
毎月の功徳日に3年3ヶ月の間参拝をすれば、無病息災・家運隆盛・祈願成就など特別な功徳があるといわれる
<節分会> 2月節分
<涅槃会> 2月15日
<善導忌> 3月14日
<法然上人御忌> 4月23日〜25日
<精霊送り・盆施餓鬼法要> 8月16日
<策伝忌・奉納落語会> 10月初旬の日曜日
<別時念仏会> 11月14日
<西山忌> 11月20日
<仏名会> 12月初旬の日曜日
<お身払式> 12月24日
<除夜の鐘> 12月31日
くちずさみ そのなもながき こがねでら ここあんらくの じょうどなるらん
人波に おされながらも 誓願寺 心にふかく 頼みきにけり
<女人往生の道場>
「枕草子」の著者 清少納言は、誓願寺において、髪を落として尼になり、仏門に入ったといわれる
女流歌人 和泉式部は、娘に先立たれ、その哀しみから世の無常を感じ、播州の書写山へ高僧 性空上人を訪ね
「京都八幡山の大菩薩に祈るべし」と言われ、石清水八幡宮で祈願すると、夢に老僧が現れ「誓願寺で祈るべし」と告げられた
和泉式部が、誓願寺で48日間篭って一心に念仏を唱えたところ、
霊夢に老尼が現れて、「念仏をとなえれば女人の往生は疑いなし」とお告げがあったといわれる
和泉式部は、尼となり、庵を結び(誠心院)、往生したといわれる
<謡曲「誓願寺」>
世阿弥の作といわれる
和泉式部と一遍上人が、誓願寺の縁起と霊験を物語る
和泉式部が、歌舞の菩薩となって現れることから、舞踊家の間に和泉式部信仰が生まれた
季節は3月の謡曲
<誓願寺(せいがんじ)>
誓願寺が舞台の能の演目
<法然上人二十五霊場第 番 御詠歌>
「極楽は 遥けきほどと 聞きしかど つとめて至る 所なりけり」