清閑寺(せいかんじ)(SeikanJi)
所在地:
京都市東山区清閑寺山ノ内町
地図情報
新義真言宗智積院派(しんぎちしゃくいんは)の寺院
山号:歌中山
本尊:
十一面千手観音菩薩
開基:紹継法師
清閑寺(せいかんじ)は、清水寺の子安塔(三重の塔)から林道を15分ほど歩いた六条天皇陵の横に建つ
「平家物語」のヒロインである、高倉天皇の寵愛を受けた小督局(こごうのつぼね)がここで尼僧となったゆかりの寺
要石(かなめいし)から扇形に広がる京都市街の眺望が素晴らしく
清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は、紅葉の名所
和歌や古典文学の題材になっている
【清閑寺の歴史・経緯】
【清閑寺の伽藍】
創建当時は、東山一帯に法華三昧堂や宝塔などが建ち並ぶ
清水寺ほどの大寺院だったが、
応仁の乱などで焼失してしまう
<本堂>
菅原道真が梅樹で自ら彫ったといわれる十一面千住観音菩薩像が安置されている
<宝筐印塔(ほうきょういんとう)>
山門を入ったところに建つ
小督局(こごうのつぼね)の供養塔
小督局は、高倉天皇の寵愛を受けたことが
平清盛の怒りに触れ、
23歳のときに、ここ清閑寺で出家させられ、そのままここで住み、死去したといわれる
高倉天皇の遺言により、小督局の眠るこの地に、高倉天皇の陵墓が築かれている
<要石(かなめいし)>
庭の前方の大きな石
この位置から扇を開くように京都市街が望め、扇の要の位置に当たることから「要石」と称される
山科方面から京都に出入りする時にこの付近を通ることから名所になっていたといわれる
この石に願いを掛けると叶うといわれる
<
茶室 郭公亭>
幕末維新
1858年(皇紀2518)安政5年
清水寺成就院の勤皇僧 月照上人(げっしょうしょうにん)と西郷隆盛が、国事に関する謀議を交わしたといわれる
<天皇陵(2基)>
1176年(皇紀1836)安元2年
六条天皇が祀られる
1181年(皇紀1841)養和元年
高倉天皇が祀られる
高倉天皇の遺言により、寵愛した小督局の眠るここ清閑寺に陵墓が築かれた
【その他】
<清閑寺窯>
平安時代初期には、窯が作られ、陶磁器が作られていた
清閑寺窯が発展して、
清水焼、粟田焼が生まれ、二つの流れから
京焼が生まれた
【清閑寺へのアクセス】
京阪バス 清閑寺山ノ内町 徒歩約10分
清水寺の子安塔から 徒歩15分
【京都検定 第2回2級】
【京都検定 第3回2級】
【京都検定 第5回2級】
【京都検定 第8回2級】
【京都検定 第14回1級】
【京都検定 第21回1級】